2010年9月27日(月) 【時の流れの中で】 | ||
朝は気持ち良い秋の空で、築港で街宣。
あるいは、尖閣諸島が中国固有の領土であると日本が認めるまで、中国が一歩も引かないという狂った考えであれば、今となっては、「当たり屋」を現地で追い返すのが一番正しい防衛策だったかもしれません。 国会で政権を追及するなどと悠長なことを言っている場合ではなく、野党であれ、自民党は、考えられるあらゆる外交ルートを使い、中国サイドと交渉を進めるべきです。政争の具にすべき課題ではなく、一刻を争う緊急事態です。 ここで日本を救うための最大の努力をするのが、責任政党としての自民党がとるべき態度であって、国内で政権批判をしても、全く埒が明きません。事態を悪化させるだけです。 傍観者を決め込み、野党だからと言い逃れする自民党の国会議員がいるとすれば、国会議員の資格はありません。ここで発する言葉のひとつひとつが、政治家の責任と覚悟の表れです。今、国会議員は、与野党問わず、誰一人、笑っていられるはずがありません。 まさに国民の命が、かかっているのです。 本日は、肥田璋三郎先生の告別式。昭和54年の初当選以来、6期24年間、岡山県議会議員を務められた大先輩です。私が初当選する以前に、県議会議長にも就かれ、私も重なったのは1期だけですが、秘書時代から御指導を頂いています。 もともとは、元労働大臣の藤井勝志先生の秘書でもあられ、自民党県議会議員には比較的多い「秘書上がり」、つまりは、「叩き上げ」の系譜でもあられます。 思えば、私の最初の選挙は、同じ選挙区内に、門木、蜂谷、肥田、森の大御所と言われる各先生がおられ、果敢にも34歳で、先輩方の胸を借りたわけですが、その全ての先輩方が、引退され、あるいは、亡くなられた状況に、12年という月日の重さを感じます。 先輩方の足元に遠く及ばないのに、岡山市においては、相対的には、むしろベテランの議員ということになります。そうそうたる先輩方が、今もしおられたら・・・と思うことが、しばしばあるにもかかわらず。 多くの自民党の重鎮県議会議員が、首長選挙に出馬される中で、自民党も様変わりしていますが、もはや、我々も、先輩方の後ろをちょこまかついていって、言いたいことだけ言っておれば良いという状況でもなくなりました。 先輩方に感じた重さや怖さというものを私が発しているとは全く思いませんが、おそらく先輩方が歩まれた時代よりも、議員受難の時代とも言える、遥かに厳しい時代を、何よりも、国家的な危機の状況の中を、我々は歩んでいくことになります。 正直に書いて、身震いするほど恐いです。しかし、立たねばなりません。これが我々の時代です。この時代を行きます。 今の時代の中にあって、あの時代の門木和郎先生や肥田璋三郎先生のように、美しく咲く大輪の花にはなれませんが、この時代だからこそ咲く花を開かせたく思います。 改めて感謝を込めて、合掌。 で、己が獅子座ゆえにか最も好きな『ウルトラマンレオ』。主題歌の歌詞が、すこぶる良いです。過保護で甘ちゃんの依存心の強いタロウと比べても、宿命を背負う孤高のレオを語ると長くなりますが、政治家・議員のあるべき姿が、「叩き上げ」のウルトラマンレオです。 http://www.youtube.com/watch?v=C2_Tz8eyhC8&feature=related | ||
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