2009年11月30日(月) 【お濃い】

 昨夜は、縁あって、諸般の事情で、生憎、不細工で不作法にもかかわらず、お茶室で初めて「お濃い」を頂戴したのでござる。
 岡山には、素晴らしいお茶菓子の老舗も多くござるが、圧倒的に、コーラにあわせて、茶菓子は、カルビーで、ござった。

 公民館の文化祭等で、「お薄」は頂きまするが、茶室や「お濃い」というのは珍しゅう、拙者なりのいつものピントのずれた解釈かもしれませぬが、つくづく思うに、茶道は、武道なのだなぁと思ったわけでござる。やはり、映画『本覚坊遺文 千利休』の影響がござる。

 矛?戈?を止めるから「武」だと聞いたことがありまするが、ある意味、高い精神性まで昇華された様式美の戦いと言えば戦いで、まさに、武でござるし、戦いの型には、現場では命がかかった消防の操法訓練のように、もともとそれぞれに合理的な理由や、深い意味があるのであろうなぁと思いつつ、美味しい茶菓子に心が奪われ、すぐにしびれが切れたので、いきなり拙者の負けでござる。

 特に、「お濃い」は、真剣勝負で、「お薄」は、簡略化されたルールある練習試合のようなもんなのかなぁ、と勝手に思うたのでござるが、おもてなしとかよりも、そう感じてしまうのが、まぁこれは、男の解釈でござんす(←ここだけ、渡世人)。

 本来は、気品ある日本人の教養として、やはり茶道は、必須かもしれませぬ。
 もっとも、日本人の凛とした感じは、四季折々の自然の中で感じる死生観や武が背景にあるから出てくるものじゃろうのぉ・・・・。そのためには、まだまだ人生の喜びや苦しみ、悲しみを幾つも幾つも超えていかないといけぬのかもしれませぬなぁ・・・。

 少なくとも、茶道に通じる女性って、素敵だと思いまする。華道も、香道も、和の道は、深う美しゅうござる。日本舞踊も、道でござる。
 もとより武道なら、すべてやはり深う美しゅうござる。突きつめると、この美は、静寂になり、動きに無駄が無くなりというのが同じというのが、実に不思議でござる。
 最後は、死ではなく、無なのじゃなぁ・・・。


 ともあれ、無駄口ばかり叩いている拙者とすれば、ある種の境地に達するのは、極めて困難でござるが、侍とは、「武」士でござるから、あまりちゃーちゃー言うて、言葉の刃を振り回すようなことは、慎まねばなりませぬ。
 年輪を重ねると供に、重い一言だけをぼそっと発する、そんな爺さんになりたいものじゃのう・・・。

 また、つらつら思いまするに、『宇宙戦艦ヤマト』が復活するわけでござるが、やはり、古代進とデスラー総統は、武士道精神で闘っていたように思うのでござる。
 その後、ガンダムやエヴァは、人間の描き方が武士道精神でないぶん、ある意味、非常にリアルにはなったのでござるが、逆に、主人公のようになりたい!という精神的な影響は、ほとんど受けないのでござる。
 別にアムロには、なりたかねぇよ、と。

 それにしても、隠遁生活を送るとか、紅葉の京都の茶室で、お茶を頂くような、そういう品格ある人生が、いつか来るのでありましょうか。
 ともあれ、まずは来年は国文祭でござるが、まずは日本人として、和文化への深い教養が欲しいところでござるな。

 なんにせよ、このままでは、お茶室で、恥をかき続けるぞなもし(←なぜ最後が、にゃんこ先生?)。

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