2009年1月25日(日)【論語読まずの論語知らず】

 今朝は、朝食を頂きながらの打ち合わせで、岡山プラザホテル9階の展望レストラン。ここからの旭川、後楽園や岡山城の景色は素晴らしいです。
 空に陸に海に、岡山の夢が広がる話をしながらも、行政の対応の鈍さで、なかなか実現しません。トップの腹次第ということが幾らもあります。
 縦割り行政の責任回避もあって、些末なことに囚われた現場の判断があって、情報がトップまで行っていないのかなぁ・・・。


 そこから、後楽園の鶴鳴館で、『声を出して子供と共に論語を読む会』に。今日は、妻子が都合により欠席で、最も学ぶ必要がある私が、出席させて頂きました。
 最近、妻子は、比較的人間的に立派ですが、私はなんとちゃらんぽらんなんだろうなぁと、本当に感じています。私の中では、亡父の極楽とんぼと母の勤勉さが、せめぎ合っています。

 正直なところ、同じ文章を読んでも、聞いたことがある言葉でも、その時々で心に響くところが全く違い、ましてや、こういう政治状況になると、はっとするような言葉が、幾つも幾つもあります。
 「義」や「仁」という言葉が、時として、人間関係のしがらみの代名詞のように使われますが、天や道理として、まさに、今、論語が政治に必要です。寄って立つべきものが、しっかりと書いてあります。

 繰り返し繰り返し、魂に染みこませていた、例えば寺子屋での学習の中に、日本人の精神文化の根本があるとすれば、現代人は、まさに先人の精神文化の貯蓄を食いつぶしているようなものです。

 子ども達よりも、実は、保護者である我々が初めて学んでいる、そのこと自体が問題です。

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