2006年1月15日(日) 【県の品格】 | ||
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今日もそうですが、このところ、様々な勉強会で、父の世代以上の方々から、御指導を頂くことが多く、なにか、TV文化、マークシート、マニュアル世代で、「新人類」と言われた者として、己に欠けるものがある気がして仕方ありません。 仕事柄、幼少時代、青春時代に戦争を体験され、今も社会の第一線で活躍される先輩方にお会いすることが多いのですが、そういった先輩方に対して、私は、違法建築のように、何本も鉄筋が入っていないような気もします。 同時に、先輩方の話が、三十代よりも、なるほどなぁと、さらに分かるような気もしてきます。同世代との会話より刺激的な部分も、かなりあります。でも、やはり、なにか感心してるだけでもつまらないです。 それにしても、先輩方のスケールや人品といったものは、何から生まれてくるものなのでしょう??? ======================================= 人口減少突入元年の今年、ここから体感できる30年をかけて、我々は、日本において、数千万人の人間が減る未知の経験をすることになります。 中国バブルの崩壊説もありますが、少なくとも、インドは台頭し、日本が30年後、世界第2位の経済大国であり続ける可能性がいかほどにあるのか分かりません。 県でいえば、1兆2000億円の借金を抱えたまま、岡山県の財政規模は、バブル崩壊時の15年前の規模に戻りました。 借金(多重債務者のように利息のみで元本が減らない)を払いながら行革を進め、道州制に向かうにつけ、職員・議員の大量解雇、戦争や、徳政令や、革命や、一揆が起きるほどの大増税等々がない限り、財政問題は解決しないのではないかと誰もが実は気がついています。その中で、経済縮小に入ります。 マネーゲームが続いたとしても、人口減は、落語的に言えば、「立って半畳、寝て一畳、天下とっても2合半」の人間が確実に減るという、経済活動縮小の如何ともし難い決定打です。 少子高齢化の波は、拡大したインフラの維持についても、いかに持続するかという命題を生み出します。 長期的には、農村を再生し、食料自給率を再び上げていくことも当然考えていかなくてはいけません。下手をすれば、栄えているのは、東京と大都市圏だけで、地方は、ガタガタになっている可能性すらあります。特に、地方の地方は、どうなっていくか。 一度縮小した経済の再拡大は、これからの子育て支援策が奏効し、出生率が上がり、あるいはむしろ、少子高齢化に一段落ついて国が若返った孫の世代からで、ここから2〜30年の話ではないかもしれません。 どうあれ、この時代を生き抜いていかないといけません。 ある意味、2007年問題は、団塊の世代の方々の第二の人生のスタートかもしれませんが、41歳で、ここから20年、最も責任を負うべき世代である私にとっては、幼少時に高度成長期の恩恵を受けた反動として、あるいは、その恩返しとして、苦しい時代になっていくのだろうと覚悟はしています。頑張ろうじゃないですか。 (レジスターでチーンとなったら、トータルは、皆、ゼロかしら。) が、しかし、その中でも、進んでいくべき一点の光明は見出したいものです。明らかなのは、資源のない我が国において、最後は、「人」に尽きるということです。我々一人一人の市民、県民、国民が最高の資源なのです。 ここからの2〜30年は、日本再起のために、「人」の力を高めていく、跳躍前に一度しゃがむような覚悟もいるのだと思います。人口が減るというのは、そういうことです。ただしかし、いろんなことに気がつくために、悪いことばかりでもないかもしれません。 50年後の日本人が、きっと我々を称えることがあるでしょう。戦争ではないですが、我々も後生のために、我々の戦いをするのですから。 失われた10年の間に、我々が本当に失ったものはなんだったのか。着飾ることも覚え、金さえ出せば、欲しいものには、なんでも手が届きそうですが、いつのまにやら、お金があっても尊敬もされない国になりました。 少なくとも、我々が取り戻すべきものは、「品格」と言ったものではないかと思います。それが、武士道精神であるか、自然と共生する日本人独特の死生観であるか、道徳・倫理であるか、時には、「粗にして野だが卑ではない」と言うか、言葉は様々でしょうが、少なくとも金銭至上主義ではない、どういう事態になろうとも、絶対に揺らがない、「品格」というものはあるのではないか。 日本が美しいのは、自然と人間が美しいから、岡山県もしかり。 たとえいつか、愛する日本が、世界第2位の経済大国でなくなる時代が来たとしても、それはそれ、世界に貢献する多くの人材を排出し、アジアの良識として世界の平和と安定を守り、国際社会で真に名誉ある、威厳ある国であり続けることはできるはずです。 日本における岡山県もそうです。 抽象的な表現ですが、かくしゃくとされた人生の大先輩達と弾けるような笑顔の子供達の真ん中で、私心や野心を排し、「期待から実現へ」、「品格」のある県政を推し進めます。 そのためにも、今伺わなくてはいけないのは、むしろ、高齢者と言われる方々のお話であったり、頼るべきは、古典とも言うべき書籍なのかもしれません。未知の未来のヒントは、本来は既知であるべきはずの過去にあるように思います。 知識があっても智慧がなければ、未来は拓けないのですから。 | ||
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