2004年8月19日(木)【「性」教育は「生」教育】

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 本日は、文教委員会。LD、ADHD、高機能自閉症等の問題、性感染症等の状況報告と性教育についての議論と重いテーマでした。
 私は、性教育の基本は、ある意味で、宗教的とも言える死生観や人生哲学に基づくものでないといけないと考えます。
 また、少なくとも、親の愛情は絶対だ、そういう確信が持てるような子育てができるように、まずは、親が親として、育たないと、現象に対処療法的に対応するだけでは、性教育も何もあったもんではない、要するには、まずは親だ、と考えます。
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 本日は、文教委員会。西養護分離校がらみで、9月定例会に、補正予算が上程されますので、その絡みで開催されました。

 報酬支給日の基本が、毎月15日ですので、15日には、常任委員会が開催され、これを称して、「給料委員会」と揶揄されるのですが、執行部からの協議または報告事項がないので、無理から開催する場合も、ないではないですが、今年の文教委員会については、給料委員会も含めて、中途半端な報告はありません。非常に緊張感のある良い委員会だと思います。
 ともかく、これだけ資料提出要求する常任委員長はいないと自負しています。


 本日は、倉敷市が地域指定されている国の特別支援教育推進体制モデル事業がらみで、LD、ADHD、高機能自閉症等の問題についての議論。

 特殊学級から特別支援教師へ、国の具体的施策が未だ明確になっていない状況で、今は、既存の法制度の中で、事例を集めている状況のように思います。

 そうした中で、既に現場は、財政面、人的な面で、支援を待っている状況です。特別教育支援コーディネーターの養成は、県も行っていますが、あるいは、国の施策を待っておられる段階ではないかもしれません。

 また、判定の難しさは常々指摘されるところであり、学校側はもちろん、保護者の側に、理解、様々な意味での覚悟が必要になります。

 9月初旬には、医療、福祉、労働等関係機関の連携協力のための横断型の協議会が設置されます。



 さらに、性感染症等の状況報告と性教育についての議論。意外にも行き過ぎた性教育についての議論には、発展しませんでしたが、それは、十代の性感染症の急増、さらには、15歳から19歳の人工中絶が、平成7年から平成14年に、1.5倍に急増、県下で、943件に及ぶという衝撃的なデータに、行くところまで行ってしまっているのではないか、という絶望感もあったのかもしれません。

 ただ、県内在住者が県内で堕胎するかは疑問ですが、岡山県下の件数は、全国平均を大きく上回っています。

 原因として、幼児・児童期の虐待や保護者の愛情不足により自己肯定感が持てず愛情に餓え、自暴自棄になっているのではないか、また、性情報の氾濫も、大きな理由でしょうが、突き詰めれば、大人社会の投影だと私は思います。


 そうした中で、性教育の意味ですが、要は、子供は性交するなということなのか、子供は性交しても良いが避妊せよ、というのことなのか、理科や科学の世界なのか・・・・。私は、その基本は、ある意味で、宗教的とも言える死生観や人生哲学に基づくものでないといけないと考えます。

 人は、なぜ生まれてきて、いかにして生きるのか、伝えるべきは、「命」の意味です。「命」は、「いのち」であり、天命、使命、宿命、運命の「めい」です。

 私は、究極の愛情表現が性交であると思いませんし、かといって、厳粛な儀式だとも思いません。ただ明らかなのは、生殖行為は、新しい「命」を造る行為であるということです。
 もっと言えば、己の「命」がわからずして、新しい「命」を造ってはいけません、ということです。
 さもなくば、「繁殖」とか「湧く」というレベルの話です。


 愛情をしっかりと確認しないと、新たに愛情を伝えることはできません。「命」がわからないと「命」は、伝えられません。

 不確かなものの中からは、不確かなものしか生まれてきません。少なくとも、親の愛情は絶対だ、そういう確信が持てるような子育てができるように、まずは、親が親として、育たないと、現象に対処療法的に対応するだけで、性教育も何もあったもんではありません。
 要するに、まずは親です。

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