2002年5月15日(水) 【憲政の神様】

 本日は、県議会の臨時会。副議長の選挙、常任委員会・特別委員会の所属の変更の採決等が行われました。副議長には、自民党の三村峰夫議員(新見・阿哲)が選ばれました。

 また、議員発議として、「中華人民共和国による中国・瀋陽の日本総領事館での主権侵犯に抗議し、政府の毅然とした外交姿勢の堅持等を求める意見書(内閣総理大臣・外務大臣へ提出)」などが、採決されました。


 主権侵犯云々は、個人的には、まさに国防・外交といった国政の専権事項のようでもあり、地方自治体に直接関わる有事法制に対する意見書の取り扱いとの整合性が気にはなりますが、おそらく全国初の意見書の採択だと思われます。

 いずれにせよ、自国内で、北朝鮮国民に、第三国に亡命されまくる中国サイドもさることながら、問題は、「国の面目丸つぶれ」の外務省の対応であり、この主権侵犯が、危機管理の問題として、あるいは、有事法制の議論と重なるとすれば、非常に解せないものを私は感じると思います。

 ただ、一方、受け入れていたら、北朝鮮か韓国かの試金石を日本が、踏まされる事態になり、今頃どうなっていたのか(本当に中国から、とりあえず返して欲しいのかどうか。どうするから返せ、と言うのでしょうか。)。
 また、これで、安全が確保されない日本の大使館や総領事館に駆け込む亡命者は、いないだろう、ということで、ある意味では、結果オーライの部分も、ないではありません。
 しかし、一万歩譲っても、人権意識の全くない日本の恥を世界中に晒したのは間違いありません。



 さて、1932年の5月15日は、世に言う「5・15事件」があった日です。

 いわば、この日を境に、戦前の政党政治に終止符が打たれ、軍部の独走に拍車がかかり、ファシズムが台頭してきます。
 青年将校の凶弾に倒れたのは、岡山が生んだ「憲政の神様」と言われた犬養毅(木堂)首相でした。

 毎年この日には、生家や墓地のある川入町内会では、墓前祭が、また、昭和9年に建立された木堂の銅像のある吉備津神社では、慰霊祭が、それぞれ開催されています。

 実は、毎年この日は、議会行事と重なり、今日初めて、慰霊祭に伺い、さらに、川入の木堂記念館を訪ねてみました。講演会や書展(6月10日まで)が行われており、たいへんに多くの方が起こしでした。


 ところで、犬養木堂という、日本史の教科書に必ず太字で出てくる方について、皆様のご記憶は、確かでしょうか?

 維新後の藩閥政治の腐敗に対して、議会政治を確立するため、第1回の衆議院議員選挙に36歳で立候補して、19期、47年。
 派閥政治打破、立憲政治確立、普通選挙実施のため、邁進し、辛亥革命を指導した孫文を応援し、新中国の発足にも尽力しました。

 満州事変勃発後、不拡大方針をとる若槻内閣は、軍の反発から総辞職。その後、経済立て直しと満州事変収拾に当たるため、70歳を越えた政友会総裁の犬養木堂が首相に。
 それから、5ヶ月後、「話せばわかる」「問答無用」で、70年前の今日、凶弾に倒れました。


 石井十次(岡山県生まれではないですが)、三木行治元知事、岡崎嘉平太、そして、犬養毅。あるいは、土光敏夫。岡山県には、しっかり郷土の偉人という方がおられるのです。そして、私心がない、というのが、共通項のように思います。ある意味で、優れた県民性の象徴です。

 しかし、なぜか、こうして全国に誇るべき方がいるにもかかわらず、肝心の岡山県民の関心や敬意が足りないような気がするのですが、これは気のせいでしょうか。是非、県施設の木堂記念館をお訪ね下さい。


 ともあれ、昨今のすさんだ政治状況の中で、この5月15日は、岡山の政治関係者が、襟を正し、政治の原点に立ち戻る、そういう日かもしれません。

 私も、憲政の神様でなく、県政の仏様にならないように、頑張ります。

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