2002年2月11日(祝・月)
【台湾特別編1 呼び戻す邦人がいるか?】

 スカンジナビア、モンゴル、上海(未完)特別編ときて、台湾編。今回は、現地の「財団法人交流協会(いわばJETRO)」で、伺った話などをもとに、報告させて頂きます。
 したがって、故宮博物館が凄かったとか、足つぼマッサージがどうであるとかの世間話のような記述は、致しません。


 人口2200万人に対して、GDPは、15000ドルの台湾で、もっとも目を引くのは、外貨準備高。一人当たりに換算すると日本の1.5倍ということになります。台湾もWTOに加盟せず、輸出一辺倒で稼いできた、と言えそうです。


 特筆すべきは、主に中小企業が稼いできたということ。言うまでもなく、これは、政治体制の影響があります。いわゆる歴史的経緯です。

 敗戦後、日本が「放棄」した銀行、農園、工場などは、国民党(外省人200万人流入)、台湾政府の資金源となり、以後、一党支配が続く中で、大企業は、基幹産業に。国民党は、あくまで、大陸に戻ることを目標として、国内投資は、控えていました。
 結果、中小企業は、傘や服やおもちゃ等々に行かざるをえませんでした。

 ところで、台湾の一番の武器は、日本語。勢い品質管理に目覚めた日本向けの輸出が増えることになり、結果として、こうした台湾製品は、日本の品質水準に近づきました。
 これは、今も続く、ある意味では信用となっていると思います。


 70年代には、社会資本整備に。我が国の大手企業も進出し、80年代には、新竹工業団地を建設。この際、アメリカに渡った人間を呼び戻す施策をとりました。
 シリコンバレーの技術者の3割が、台湾系と言われているようですが、アメリカは、ITの技術者に関しては、グリーンカードの発行を緩めていた経緯もありますし、一方、台湾の中流階級も「有事」に備えて、子弟を「海外」に出していたということもあります。

 また、さらに言えば、台湾の受験競争は、日本の比ではありません。「年末」にもかかわらず、台北駅周辺の予備校街は、若者で沸き返っていましたが、旧「帝大」を出て、米留学してハクをつけるのは当たり前。
 国内の入試に失敗しても、そこそこのアメリカの大学への留学経験が、モノを言うそうです。

 90年代は、この呼び戻し策が、いっきに功を奏して、ITに関しての台湾のばく進を生んだわけです。


 もっとも、ご多分に漏れず、IT不況は、台湾経済を直撃。失業率は、日本並みの5.5%に突入。観光客も半減と、少なくとも、上海のような勢いは感じませんでした。


 ただ、まだ、外国に出ているいわば人材があります。この点、日本人の海外在住者は、過去最大を記録したと昨日報道されていますが、どれだけ、「呼び戻す」人材がいるのか。

 いうまでもなく、中国の躍進を一方で支えているのは、華僑でしょうが、日本の外から、日本に対して、エールを送ってくれる、あるいは、「すわ鎌倉」と駆けつけてくれる邦人がどれだけいるのか。日系社会を含めてどうなのか。

 この点に、不安を持つのは、私だけでしょうか?

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