2001年10月5日(金) 【戦没者慰霊祭】

 本日は、岡山県護国神社戦没者慰霊祭に出席しました。明日は、午前10時30分から、秋季慰霊大祭がありますが、こうした慰霊行事には、時間が許す限り出席するように努めています(但し明日は、欠席)。

 「公職」として亡くなったご英霊と言われる祭神56526柱に対して、感謝の誠と日本国の安寧、平和への決意を捧げるのは、公職にある者としての責務もあると思います。


 総理大臣靖国神社公式参拝、国家護持は、自民党の党是だと言い切る方もおられますが、護国神社参拝でも、それを非常にリアルな問題として感じることができます。

 もっとも、政教分離の徹底という言い方をすれば、問題が出るかもしれないほど、財政的な関わりや、いわゆる首長の公式参拝を含めて、県と護国神社の関係は、深いものがあります。

 首長が、お払いを受け、2礼2拍手1礼で参拝することや、慰霊行事にいくらか県の補助があることが問題になっている、という実感はないのですが、それが問題なのか、問題にすべきなのか、わかりません。



 私は、どちらかというと、護国神社は、慰霊と感謝と誓いの場であると同時に、日本とは、なんなのか、を考える場だとも思っています。

 おそらく、私達でも想像できるある時代の日本が、確かにありますが、それが、それよりも、ずっと以前の日本から続いているものなのか、これからずっと続いていく日本なのかは、わかりません。
 伊勢神宮で感じる感覚、「あ、ここには、日本がある。俺は、日本人だ。」というのとは、確かに違います。


 四季折々の風や笙の音、小鳥のさえずり、境内に、ここ100年の激動した日本の面影を感じ取ることができます。まるで、巨大な映画セットのようにして、第二次世界大戦中の姿を想像します。

 本や伝聞の知識だけでなく、遺族の方と実際に接し、戦に行かれた方と話し、護国神社にも参拝して、それでも、わからないことだらけです。

 個人的には、最も平和を願う遺族と、護国神社、軍国主義、右翼、君が代、日の丸、天皇制などが、短絡的に繋がって発想されていく理由が、ひどく政治的な感じがして、よくわからない部分があります。

 ご英霊にとってではなく、遺族にとって、本当は、どんな形が良かったのだろう?少なくとも、現状を納得されるかどうか・・・。


 ただ、本当に遺族の御参拝が、毎年顕著に減っていることを見るにつけ、むしろ、今後、岡山県護国神社を誰が、どう、支えていくべきなのか、悩むところで、早晩確実に問題になることは、はっきりしています。

 参拝者、奉賛会などの高齢化の状況の中で、あるいは、直接の遺族がいなくなった時に、次世代が、今まで通り継承できるのか、誰が責任を負うのか、ここ10年内に、大きなヤマが来るのではないでしょうか。

 少なくとも、今の20〜30歳台には、確実に継承されていないものもあると思います。とすれば、その世代は、結果として理解できないままに、歴史文化施設にしてしまうのか、どうするのか、ということへの判断が必要になる時期が来ると思います。


 今、敢えて、遺族の方と護国神社を感じる努力は、どうしても必要だと思います。うやむやにしてしまうと、別の形で、我々は、繰り返してしまいます。
 それは、ご英霊やご遺族が、最も望まれないことではないでしょうか。

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