2001年5月24日 | ||
【モンゴル・「卒業はしたけれど」共産主義に帰りたい】 | ||
通訳をして下さるNGOの代表と話をしていると、なにかモンゴルの中に、「共産主義回帰願望」があるというのがわかってきます。
モンゴルとソ連は70年もおつきあいし、第二次世界大戦後は、わざわざモンゴルはロシア語表記に変えたほど蜜月が続いていました。 同行された方によると、ウランバートルは、まさにロシアの郊外の街の風景そのものと言われます。おそらく、東欧諸国もこんな感じかなという雰囲気はします。 実際、ここ5〜6年の間に、1ドル15Tg(トルグ)が1000Tgに、65倍以上の想像を絶するインフレです。国営工場は閉鎖。街中に失業者があふれ、職のない男性は昼から酒をあおっているような始末。物乞いをする子供達も見かけます。 しかし、これらは全て共産主義時代にはなかったというのです。いわゆる「開放経済」は日本の約4倍の国土面積に、人口僅か235万人(人口密度は世界最低の1.5人/ku)、産業と言えば、カシミヤしかないような国際競争力のないモンゴルには、非常に厳しいものでした。 一方、仏教国なのに寺院を打ち壊し、チンギス・ハンすら学ばなかった(ロシアの歴史の中でその一部として語られた)、共産主義の閉鎖的な部分からも、確かに自由にはなりましたが、そのことは、必ずしも目先の経済問題を解決するきっかけにすらならなかったのです。 こちらからは韓国やイスラエルに出稼ぎに出て、あるいは、中国や韓国の下請けで製品を作り、逆に都市部は外資系の飲食店が進出し、自国民はめったに利用できないような状況で、広い国土を他国に貸し出そうか、という笑えないような話まで、出ているそうです。235万人のだだっ広い商圏は、ビジネスとしての魅力は薄いでしょう。 今回再選されたバカバンディ大統領(なんと国会議事堂から車で出てこられるところに遭遇!!手を振って頂きました。)も、人民革命党(旧共産党)です。 目先が不透明な中で、皆があの頃は良かったと思ったとしても、不思議はないのかもしれません。共産主義ならこれほど苦しまなかったのです。 おりしも、本日は大学の卒業式の日でもありました。ザイサントルゴイの展望台から、グランバートルの街を見下ろした卒業生に、モンゴルの明日はどのように映っているでしょうか。 ちなみに、感覚的には物価は日本の10分の1.新入社員の初任給は、平均1万円だそうです。18才から26才の間に1年間男性には徴兵があります。 | ||
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