2012年8月17日(金) 【真夏の狂想曲】 | ||
本日も、街宣は休んで、朝一で、県庁へ。
国の示した「がん対策推進基本計画(変更案)」と喫煙率や受動喫煙率の数値目標について。私自身は、まったく喫煙しませんが、たばこ政策というのは、実に難しいものがあります。 ただ、どうあれ、健康対策に限らず、啓発活動というものが、例えば、ポスターを掲示して、駅前でティッシュを配って、市町村に声掛けすれば終わりなのか?ということについても、その効果には、疑問があると思います。 その後、夜の盆踊りまでの時間で、思い切り溜まっている事務作業。特に、一番は、「こころ」でした。Facebookとブログと三本立てというのが、なかなかに厳しく、特に、Facebookの返信というのは、かなり時間を要します。 ただ、コメントを頂くとそれに返信させていただくことで、まとまることがあるのも事実ですが、時間と共に、流れてしまい、なかなか体系的に残らないというジレンマがあります。 一方で、この時期の夏祭りめぐりの疲労感も、これが続くと、かなりのもので、朝の街宣は、体力的にも、精神的にも、きついというのもあります。 特に、少なからず、選挙を意識したような形で、業界関係者が動きますので、そのストレスも、決して楽しいものではありません。売名のために、地域にとって大切な行事を冒涜に回っているような気も、しないでもありません。 挨拶だけが目的というのも悲しく、枯れ木も山の賑わいと、色物的に踊ってみたりはするものの、なにか設営・運営されている方や、なにより、地域の神様やご先祖様に、本当に申し訳ないような気がしております。 なにより、子ども達の笑顔のために行われている祭りで、その笑顔のために、私が、何ができているというのでしょう? その中で、私が考える政治のあり方とは、かなりズレが生じているにもかかわらず、立ち止まって考えもせず、ただ、齷齪と進んでいる気分になっているだけの日々のような気もします。 忙しいけれど、その忙しさって、なんなんだ? オリンピックの陰に隠れて、政治は、真夏の狂想曲のように、誰が何をどう動かして、つまりは、あんたは、結局どうしたいのか?というのが、いよいよ分からなくなっています。 全てが、選挙、選挙、選挙で、それが全ての目的になってはいないか?なにをどうしたいのか?本当に、これで良いのか?自己実現あるいは自己保身以外に、それ以上に、いったい、何を誰を守ろうとして、何をつくろうとして、そのために、誰と、何と、なんで戦うのか? 国だけではなく、地方においてもそうです。 踊りの輪の中で、俺は、いったいなんなんだ?ここで踊る資格なんてあるのか?だいたいが、踊ってて良いのか?そういう気持ちの中で、もがきながらの踊りです。 多くの方に楽しんで貰うために、多くの方々を汗をかいてくださっている祭りですから、私だけが、黄昏ている方が、むしろ失礼の極みであり、精一杯笑顔でいよう、せめてそう思うものの・・・。 なによりも、どこかにお邪魔するという事は、守るべきものを感じに行き、それを共に背負っていくということなのだと肝に銘じて。舞台は、少なくとも、我々のために作られたものではありません。 もちろん、地域で、祭りを設営されることの意義は、今後益々重要になって行くと思います。ただしかし、コミュニティの再生などと安易に言いますが、地域で、本当に汗をかかれている方々は、昔も今も変わらず、公に奉仕するために、尊い汗をかき続けておられます。 あるいは、公に奉仕することを生業とする者以上に。そこに、再生などという言葉自体が、無礼極まりないようにも思います。 ずっと、地域コミュニティは、地域の方々の誇りと愛情のもとで、守られてきています。 にもかかわらず、公助、共助、自助という言葉を行政サイドや政治サイドが、責任転嫁のごとく、あまりに安易に使いすぎないか?そいうのも、気になります。 そもそも、なにか、地域の方々のそうした方々の努力の上に、政治が、ドンと乗っかっていくような後ろめたさが、私の中には、常にあります。いったい、議員が、政治関係者が何様なのか?と・・・。 忙しいと動き回るものの、テントのひとつも、立ててやしないのですから・・。なにより、平素、何ができてるっていうんだ? それにしても、浮き足立った小手先の対応ではなく、決してぶれない確かな根っこを政治関係者が失っては、いよいよ我が国は、国も地方も、滅んでしまいます。 明らかに、今、政治関係者は、ニコニコでも、ニヤニヤでも、ニタニタでも、笑っている場合ではありません。 井上陽水=『少年時代』 http://www.youtube.com/watch?v=WjfHrRhHcxs | ||
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