2011年7月2日(土) 【議場退席について】

 昨夜の横浜の良いところが何一つないあまりにトホホな負けっぷりに、往年の大洋ホエールズの姿を思い出しました。負ける時には徹底的に、勝つ時には無駄にたくさん点を取るという・・。
 倉敷マスカットスタジアムに集った、あるいは、全国の、阪神タイガースファンをあれほど喜ばせたベイスターズを誇りに思います・・・・。


 さて、昨日の本会議で、「議員報酬10%削減」する県条例が賛成多数で可決されましたが、民主県民クラブで、期末手当を含む議員報酬15%減を主張する議員が、唯一反対。会派離脱勧告を受け入れ、無派閥議員になられました。
 これはなかなかできないことで、いわゆる党議拘束に反して離脱ということでは、筋が通っており、意見が同じかどうかは別にして、議員としてとるべきひとつの態度だと思います。


 問題は、同じ条例案に、「体調不良」を理由に採決直前に退席し、採決を棄権した民主県民クラブ所属の議員がいたこと。彼女は、厳重注意ということだそうですが、私も、閉会直後に、「なんで抜けたんですか?」と聞きましたら、「急にお腹が痛くなったから」という答えでした。これには、心底がっかりました。

 いかなる事情があれ、採決放棄というのは、絶対に議員がとってはいけない態度だと思います。ここから、いくら、彼女が議会改革を叫ぼうが、自民党批判をしようが、派閥批判をしようが、少なくとも、議員報酬削減については、もう語る資格はないと思います。


 とは言うものの、私も一度だけ議場を抜けた事があります。私が総務委員長の時、財政危機宣言直後の、例の消防防災ヘリコプター(『きび』)購入に際してです。

 この時は、私が委員長を務める総務委員会として、自民党の部会も経て、「継続審議」の判断でした。それは、政務調査会でも了とされました。知事提案を否決するのみならず、継続にするということも、事実上の不信任を意味するという重い判断でした。


 ただ、知事から直接、自民党執行部への依頼があり、自民党議員団総会で、「可決」に急転しました。これも、ギリギリの判断でした。
 と、いうのも、知事サイドから、継続審議で購入を先延ばしにすると、国の補助金が貰えなくなるタイミングであることが、ここで明かされ、なによりも、知事選挙前の大混乱を政治的判断で抑えたという部分もあります。
 ある意味、情がある自民党らしいと言えば、らしいです。

 しかし、このことは、総務委員会の「継続審査」の判断(本会議で、総務委員長の私が、まず委員長報告をする)を同じ本会議場で、総務委員長自らが所属する自民党の反対多数で、ひっくり返され、それに続いて、自民党の多数で、「可決」されるという、まさに梯子を外された総務委員長の面目丸つぶれの事態になることを意味しました。

 そこで、総務委員長の私自身が、総務委員会の判断に反して、矛盾した行動はとれないということで、退席をさせて頂くと議員団総会で公言し、その通りに、退席をしたのです。
 このときは、厳重注意も、ありませんでした。やはり、ギリギリの判断であったと思います。

 自民党に否決されると分かって、委員長報告をする時も、私は、お腹は痛くなりませんでした。



 本日より、来週の土曜日まで、馬場俊英強化週間に入りました。なにがどうということもありませんが、馬場俊英をいつにも増して聴くということです。
 たまたまラジオで流れて、初めて馬場俊英を知ったのは、4年前の夏頃。ファン暦は短いですが、馬場俊英を聴かない日のほうが、今は珍しくなりました。
 馬場俊英=『君はレースの途中のランナー』 http://www.youtube.com/watch?v=Y0ZtYJsyz6c

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