2010年5月2日(日)
【引き上げる感性 引き上げられる感謝】

 京橋朝一で、山田みか候補予定者と中学時代の友人の皆さんが、ビラを一生懸命配っている横で、我が家は、いつものように、うどんを呑気に食べておりました。

 その勢いで、今日は、広島方面に向かったのですが、福山付近で情けないような大渋滞。車中では、馬場俊英の曲がずっと流れておりました。


 話はがらりと変わりますが、最近、故門木県議の事をまた思い出したりしているのですが、私の初当選直後に、逢沢代議士の政経パーティーがあり、乾杯の発声をする予定だった第一選挙区支部幹事長の門木県議が、『老体が出てきても仕方ない。自民党には、若い議員もいる。佐藤君、乾杯の発声をしなさい。」と壇上でいきなり、言われ、私に発声を振られました。
 会場が、ざわっとなりました。

 元秘書で初めての議員ということでしたが、当時は、恩返しができていないと方々から批判され、本当に辛いことも多く、その後、今から思えば、翌年の総選挙でも、当時妊婦であった妻も、かなり無理をしましたが、公の舞台で地方議員として認知されたのは、あれが初めてだったと思います。

 もちろん、それを見て、私を支えて下さった方の中には、感激して泣く方までおられましたが、一方で、口々に、「門木先生は、凄いね。」となったのは言うまでもありません。なにより、そういう引き上げ方をして頂いた事は、私自身、やはり生涯忘れません。

 門木先生は、例えば、私の母に、「立派な息子さんを育てられましたなぁ・・・」と言って泣かせてみたり、期間中には、初陣の私の選挙事務所に、わざわざ選挙カーを降りて入ってこられ、「佐藤を頼む」と言って去って行かれたということもあったり。
 単純に、「上手かった」という表現では済ませられない、人情の機微に触れるものがありました。

 はっきりしているのは、引き上げた者も、引き上げられた者も、浮かび上がる、さらに大きくなる、そんな心配りがある、こういうことは本当に重要です。
 引き上げる感性、そして、引き上げて頂いたことが分かる感性、その根っこには、痛みが分かる、例えば、持たざる者が実体験する労苦が要ります。それが通じ合うことが一番大切です。


 春なのに日焼けしそう。馬場俊英=『陽炎』
http://www.youtube.com/watch?v=ht0nR7Dn1BQ

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