2009年12月31日(木)
【今年一年ありがとうございました。】

 粉雪が舞う大晦日。
 昨夜は、金甲山や常山の麓で、時には撃沈し、時には感激もしながら、無事、午前0時を回って所属分団機庫に戻ることができました。勢いがついて、今夜あっても行けますが・・・。いつのまにか、ほぼ風邪が治っています。風邪の治療には、夜警!

 本日は、妙林寺様のお火炊きのあとは、多分、事務所で紅白歌合戦を聞きながら、やっと掃除のふりをして、町内のお宮さんで、新年を迎えることになると思います。お宮さんも、自転車ではしごになり、朝起き会へ。また、徹夜かも・・・・。


 本当に今年一年間、御愛顧賜りまして、誠にありがとうございました。特に、精神的に非常に危うかった1ヶ月の超限定配信を含めて、「その3138」から「その3473」まで重ねることができました。
 これも皆様のお力あればこそと改めて心から感謝申し上げます。

 個人的には、右の頬を差し出したら左の頬を打たれ、千尋の谷に突き落とされて這い上がろうとすれば、上から石を投げられるような厳しい年ではありましたが、皆様の今年一年は、いかがだったでしょうか?
 お互いに、ここまで生きてこられたことの労を労いあいたい気分。

 おそらく、私自身、来年も今年以上に厳しい年であることは既に十分覚悟致しておりますが、ただ、例えば、10年という長さで考えたときに、明らかに、第2幕に入っおり、ここを越えていけば、55才の私は、それなりに魅力があるだろうと思います。
 10年経って、確実に感性が鈍っておりましたから、様々な面での再スタートは、本当にありがたい機会です。


 さて、年末恒例の長文ですが・・・

 生きるとは何か?を考える時に、私は、それは、「問題の設定と解決の繰り返し」だと思います。そもそもなぜ生まれてきたのか、命とは何なのか?という大きな命題の中で、日々、自分から選択して、あるいは否応なく与えられた問題を解決すべく、我々はもがいています。

 一方で、なぜ生きているのかという命題は、死をもってしか解決しないかもしれませんが、それは新しい問題の始まりかもしれませんし、自死自体は、個人の問題解決の手段としてはあるのでしょうが、誰かの問題を勝手に設定することになることであり、基本的には許されないものだと思います。
 ともあれ、今、ここで、何を問題とし、どう解決するか、日々、死ぬまで続きます。


 ところで、「先生」と呼ばれる方々の多くが、他人様の問題を解決する力がある者を指すと私は考えています。とりわけ、政治家は、ある意味で、その最たる仕事であるべきで、ゆえに、まずは情報収集して、それを整理し、問題を設定し、さらに、解決の糸口を探らなくてはいけません。
 問題処理(解決)能力に長けた者が、まさに、その道のプロフェショナルですが、政治家も同じです。

 政治家にとって、問題処理(解決)にあたり、まずもって、一番重要なのは、いわば他人の問題を自分の問題として昇華する力、背負い込む力、受けて立つ力、あるいは、共鳴する力、もっと言えば、他人の痛みが分かる力だと思います。
 特に、政治的指導家や宗教家でもない議員は、現地現場で、痛みを痛みとして受け止めていく力が、まず必要です。

 何も感じず通り過ぎてしまえば、問題は問題として、残り続けます。あるいは、これから起こりうる問題を可視的にする必要もあります。問題を即座に察知する力、一聴いて十悟る、これは、非常にセンスに近いと思います。


 しかし、逆に、選挙の協力を得んがため、むしろ、他者に問題を振りまくようなことがあってはならないとも考えます。あるいは、問題を背負い込む覚悟が無ければ、政治活動に名を借りた選挙活動をすべきではないと思います。
 基本にあるのは、勝手に問題解決に走る江戸っ子のようなものです。あるいは、強烈な使命感です。

 時に、スポットライトが当たるスターになる個人の自己実現のために、ブランドとしてバッヂを欲しがる、高見に上がりたがるタイプもありますが、基本的なアプローチが違うと思います。
 我々は、手の届かないような、憧れのアイドルが欲しいわけではありません。いわんや、自己実現したい政治家自身が、悩みの種や問題そのものになってはいけません。

 誰が、問題をどう解決するのかを期待しているわけですし、例えば、マニフェスト自体、問題の所在と解決法です。
 ここが無いと、つまりは、何をしたい人間なのか、伝わるものがありません。


 特に、人間は、自分の経験以上にものを語ることはできません。誰と出会い、何に時間とお金を使い、何を考えてきたか、それらが己の経験に根差すものでなければ、実は、問題の設定にも解決にも結びつきません。

 敢えて言えば、誰かのための優しさが強さだとすれば、強くなるためには、人知れず泣く必要があります。問題を避ければ、あるいは、解決のための決断を避ければ、絶対に政治家としての力はつきません。

 人生の深み、饒舌でも、話せば話すほど淋しくなるような上っ面の生き方など、1時間も話せば、お互い分かるものですが、単純に、悩んでいない人間に、人の悩みは分かりません。
 問題の解決の術が無いどころか、問題を問題とすら感じなければ、話をしても仕方ないかもしれません。
 問題を問題と感じ、いかに解決する努力をするかが、政治家には問われます。


 結局は、こうしたところ、人間の根っこの部分で、自民党がとことんずれてきて、政権を失うことに結びついたように思いますが、単純には、自民党議員が、庶民の痛みが分からなくなったということだと思います。庶民の痛みが分かるなら、今でも、自ずと方向性は見えるはずです。
 したがって、根は決して浅くありません。単純でもない。

 人間力があるからこそ大きくなったはずの組織の組織力、もっと言えば人数の中で支えらる中で、結局は、組織、他人に甘えて、個人個人の人間力が落ちているていることに鈍感でいられたわけですが、今、裸になってみて、様々な事が露呈し、あらためて、個人としての人間力が問われています。白兵戦です。

 魅力ある個人の、その集合体が組織であるという基本に戻れば、組織建て直しのためには、もう一度、個人個人が、まずは個人として、しっかりと立つ事が重要です。
 誰かの批判でなく、誰かの失敗を願うのでもなく、すがったり頼ったりするのでもなく、まず個として野に立つ気概こそが問われます。


 ゆえに、我々は、そもそも何で生きているのかから、今は悩み抜けば良いと思います。あらゆることをいかに真摯に受け止めて、自分自身を問うか、非常に大切な時期です。
 一番しんどいときに、人間の本性は出ます。そこを耐えて、足腰が強くなります。

 要は、問題の設定と解決の能力を高めるために、他人の痛みを痛みとして感じられる経験を改めてしっかりと積んでいくことだと思います。もっと単純に言えば、より人に優しくならないといけない、そのために自分が強くならないといけないということです。


 ともあれ、今年以上に、来年は厳しい年になると覚悟はしておりますが、だからこそ、どう越えていくかが楽しみです。必ず、それが力になります。

 そして、今の立場で、私自身がこうできると言うのには限界がありますが、野党だろうがなんだろうが、県議会議員の私には、守るべき岡山県があり、県民の皆様がおられます。
 私は私のベストを尽くして頑張ります。

 あと6時間で今年も終わりますが、6時間後以降も、どうかよろしくお願い申し上げす。どうか良いお年を!!

 噂に寄れば、来年は寅年だそうですが、私は獅子座生まれなので、さだまさし=『風に立つライオン』で今年は失礼致します。
http://www.youtube.com/watch?v=VyaWPCojkpk

Copyright (c) 2010 SHINJI SATO Inc. All rights reserved.satoshin.jp