2009年6月2日(火) 【政治家の根本規範】

 今日は午後から、派閥の研修で県外に。2泊3日の行程ですが、明日明後日と、どうしても外せない(さては、LCとPTAじゃないのか?物資部の大売り出しもありますし、ムシの日のイベントもありますし・・・)用事があり、私は、今日、海水淡水化センターの視察後、明朝には、博多から失礼します。
 そう言えば、今日ベイスターズは、博多にいますが、観られないでしょう。

 調査先だけでなく、道中の懇談や情報交換こそが重要で、長期的に観ると、こういう研修を途中で抜けるのは無礼ですし、本当に全く良いことはないのですが、せめて、帰途には、来週から議会開会で、一般質問を予定しているため、少しでも、新聞のスクラップを整理しようと思います。

 今回は、いわゆるモンスターペアレンツについて、教育委員会から精神保健へ移していく仕組みについて、考えています。「弁当の日」についても触れようと思っています。



 繰り返しになりますが、私が思う政治家(議員にも)必要な条件は、構想力、決断力、機動(喜働)力です。ただしかし、それは、絶対公約数的なもので、それ以上に重要なのは、根本規範です。

 私の場合は、下記に掲げる「愛と夢の公正な分かち合いのために!!」であり、「愛と夢の公正な分かち合い」のために、構想し、決断し、機動するということです。
 根本規範は、経験や人生観や死生観によって、まちまちで、それを「国益」と言う人もいれば、「平等」と言う人もいる、「地域のために」でも構わないし、中には、利益や保身のために動く人もいるでしょう。そこはいろいろあるのでしょう。

 しかし、これだけは絶対にやる!という信念や、こだわり、ある種の狂気といっても良いかもしれません。松陰や晋作は、「狂」という言葉に酔ったと言います。ファジアーノ岡山だって、「熱い」人達がいたからこそ、進んでいく今があるのですから。

 要は、何で生きているの?からの話です。魂の発露の部分です。


 いずれにせよ、「巧言令色少なし仁」と言いますが、その一言を発するために、何にお金と時間を使い、誰と出会い、何を考えてきたのかが問題になってくるし、時間が経つほど、言葉の軽重に差がついてきます。

 思うに、年を重ねれば重ねるほど、政治家は、多言を要しないようにも思います。居るだけでよくなります。そして、それが、迫力になります。故門木先生が、そういう雰囲気でした。

 その場で、必要なときに必要な言葉を発すれば良いのですが、たいがいは、必要もないときに、必要もないことを喋る、半径1mのことを喋り抜いて、あげくKYと言われ、逆に何も伝わらない、そういうことってあるよなぁと思います。存在の誇示や、焦りから、弱い犬ほどよく吠えるということもあります。

 そして伝えるのは、言葉だけではない、目があります。幾ら綺麗事を並べても、言葉が終わった後、何も言わないときこそ、慈愛のない目というのは、すぐ分かります。
 人間は、笑顔が終わる瞬間に、本性が出ます。嘘が分かります。

 実は、根本規範なんて、喋らなくても、どう死のうかという、「生き様」で伝わるのです。


 内容のないことをペラペラ喋っているうちは、駄目だなということは、分かっていながら、今は、くちばしの黄色いのがああだこうだ言いつつ、それは、時期的な役割なのだと思いつつ、将来は、上手く枯れていきたいもんだなと思います。噺家なら、還暦過ぎが旬というのは、そういうことです。ぼそぼそっという間が、面白い。
 だから、早口というのは、致命的だぞ、佐藤君。

 ともあれ、根本規範がなければ、構想も決断も機動もしません。伝えたいことが、自分の選挙当選だけでは、誰もついていかないだろうな。それだけでは、誰も別に共感しないですから。
 大切なのは、生き様であり、死に様です。

『ただお前がいい』http://www.youtube.com/watch?v=-IuVqrmiI2U

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