2008年12月30日(火) 【小選挙区制の問題】

 渡辺喜美代議士が、民主党提出の衆院解散・総選挙を求める決議案に賛成し、党議拘束に違反したにもかかわらず、戒告処分にしかならないというのは、通常は考えられない大問題だと思います。法案に反対するのとは訳が違います。

 その一方で、渡辺代議士の選挙区に、民主党が対抗馬を立てないというのが解せません。選挙戦略だとしたら、不愉快です。



 昨今、私は、小選挙区比例代表制のマイナス面が露呈されているような気がしております。
 もちろん、竹下内閣の時代に、リクルート問題で政治不信が高まり、政治改革の機運が高まり、なぜか、政治改革が、選挙制度改革に矮小化しましたが、その目的のひとつが、政権交代可能なシステムを作る、すなわち、二大政党化することにあったからには、それ自体を否定するものではありません。
 政権交代になりそうだから、選挙制度改革?では理屈が通りません。

 ただ、問題のひとつとされた連立与党のうちの小党にキャスティングングボードが握られ、常に、政権が不安定になりうることについては、比例代表制を並列させたこと自体は、理解できなくもないのですが、決定的なことは、与謝野代議士のお言葉を借りれば、「選挙区が狭い分、大局を見る視点に欠け、選挙区の事情や、メディアでの人気を優先する候補者ばかりが当選しやすい制度」に、なっていることは問題です。
 単純に言えば、これも、与謝野代議士のお言葉を借りれば、「政治家が小物になってしまう」ということです。


 天下国家を論じるのではなく、いつも選挙区の状況に、気持ちを取られてしまうのは、例えば、いくら中央で仕事をしようにも、いわば無職の対立候補予定者が、政策論ではなく、人気取りの無茶苦茶な選挙運動を常に展開していて、足下を常に揺さぶられているのですから、仕方ない部分もあります。

 若くて、見栄えが良く、経歴がそれなりであれば、誰だって、対立候補になれるというのは、ある意味、チャンスなのかもしれませんが。

 ともあれ、1対1ですから、常に、相手のマイナスを叩き、相手から奪う、誹謗中傷合戦となり、少なからず、こうした殺伐とした政治家の姿が、世相に反映しているように思えてなりません。

 なにより、質が悪いのは、政党の違いは、どうもイデオロギーの対立でもなく、アメリカの共和党と民主党ほどの違いは感じられず、その立場が、政治的信念ではなく、選挙区事情で、たまたまとしか言いようがない議員、候補が、散見されることです。

 そして、最も、質が悪いのは、政権交代しても、どうも官僚機構は壊れそうにないということで、端的には、民主党政権になっても、霞ヶ関の総入れ替えは起こり得ず、結局、「お上」は変わらない、むしろ、政権交代する方が、官僚は政治家を御しやすいと考えるのではないか、と思えることです。もっとも、これは、政権交代してみて、初めて、その成果として分かることですが。


 もちろん、中選挙区制の欠陥として、党内派閥を背景とした同じ政党同士の潰しあいになり、自前の後援会組織の維持に多額の経費がかかる、さらには、与党議員が、政策分野による棲み分けを行い、特定の業種に利益誘導を図るなど、政治とカネの問題が、尽きることはありませんでした。

 ただ、中選挙区制が良い訳ではないのですが、小選挙区になって、これらの課題が、どうも解決しているように思えません。

 一方で、郵政民営化の選挙は、小選挙区だから起こり得た選挙ですが、マイナス面が露呈したとも言えます。
 どうも、丁半は、国民気質に合っていないような気もします。

 しかし、大争点を国民が選択するのが、国民主権です。その点で言えば、小選挙区制は、非常に分かり易いものもあります。


 ではどうするのか。

 中選挙区に戻すというのもひとつの考え方です。
 しかし、徹底的に、小選挙区制のメリットを出すというのもひとつの考え方です。要は、下野することになっても、徹底的に政策を打ち出して戦い抜くということです。ただ選挙に負けるかもしれないという一点のみで、そのために、選挙を恐れてはいけないのではないか。

 民主主義国家であれば、いつか少数が多数になることもあります。常に、変わるということです。下野すれば、したら良いじゃないか、首まで取られないのですから、本当に命を張っている民間の経営より、はるかに甘いといわれても仕方ないです。
 小選挙区制なら、正しければ、負けても勝てると思うべきです。

 もはや、いかに負けないかではなく、いかに、酷く負けないかが焦点になっているかのような自民党ですが、堂々と負ける覚悟で戦う方が、勝負は勝つものです。考えようによれば、今なら、なんでも言える、できる時期でもあります。
 渡辺喜美代議士の行動が素晴らしいとは全く思いませんが、中央の青年局は何をしているのでしょう???


 なによりも、自民党政権を守るためではなく、国民を守るための戦いです。国民を守る、そんな当たり前のことが伝わらないから、劣勢になるのです。
 何がしたいのか?単に選挙に通りたいだけなのか?この不景気に、それだけの思いに付き合って、共感してくれる暇人はいません。
 より国民を守ってくれそうな方に票を投じる、選挙はシンプルです。

 今一番、政治家が伝えなくてはいけないのは、国民のために戦っている、その姿です。極端に言えば、戦う相手が、既存の自民党だろうと、民主党だろうと、官僚だろうと、アメリカだろうと、なんだって良いのです。

 少なくとも、政治家が、自分を守るために政治が出来るような時代ではありません。特に、一般が、文字通り生き死にの時に、自らが生き残るために腰が引けているという姿が見えるだけで、興醒めします。
 なんのための戦いなのか、当たり前のことですが、常に原点に立ち戻る必要があります。

 どうあれ、我が業界も、来年の一文字は、『戦』しかありません。
 これは、国も地方も変わりありません。


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 思い当たるふしは多々ありますが、どうもこの頭痛に、目がしょぼしょぼと、風邪です。ただ今日は、所属分団の当番で夜警出動。結局、ここ10年以上、年末の夜に家でゆっくりしたのは、インフルエンザに罹った時だけです。
 ある意味、元気でなによりです。

 さてさて、この動画BGMの紹介も、自分なりにかなり楽しんでおりますが、今年も、あと2曲となりました。明日のトリは、さてなんでしょう。曲選びの基本的なコンセプトは、そうきたか〜、あるいは、知らんな〜、です。

 本日は、この時期、最も美しく胸に響き、一方で、楽譜も読めないのに、その素晴らしい合唱を聴き、早稲田大学グリークラブに入部してしまう(北軽井沢の夏合宿でクビになった)契機となった曲。
 「札幌」を「岡山」に換えて歌っています。でも、何を呼ぼう・・・。
http://jp.youtube.com/watch?v=RD3ucoODHLE&feature=related

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