2008年7月29日(火)【やっと街頭演説50回】

 昨日の集中豪雨で、神戸では、学童保育の子ども達が、濁流に呑まれて亡くなったのは、本当に辛い事件です。

 都市部を流れても、放流水と農業用水では、役割が異なりますが、先般、西川探険をしたばかりで、また、指導員の方にとっても、実に辛い事故で、子育て世代としても、心が痛みますす。


 昨年の今日、7月29日の参議院選挙における自民党大敗北を受けて、青年部局として始めた街頭演説が、本日、記念すべき?50回目を迎えました。まさに、今日は、敗戦記念日記念。

 岡山駅周辺、倉敷、児島、玉島、津山、玉野等々で、毎週火曜日を原則に、ひつこく続けてきました。

 今朝は、少し暑さが手加減をしてくれたものの、弁士一人で、1時間。街宣車の場合は、見せんがための交差点のハンドマイクによる辻説法と違い、少なくとも、待機中のタクシーの運転手さんは、嫌でも聞かれておられるため、気が抜けない分、実に疲れます。

 それにしても、この1年間、事態は、益々悪化の一途。地方から、青年議員から、中央に向かって物申すという、その意気や良しでしたが、我々の足下の岡山県も、ややこしいことになってきました。

 ともあれ、私は、児島遠征を2回ほどさぼっていますが、50回全てに、街宣車を出動させた自民党県連職員の方に、敬意を表します。よくぞ、ここまで付き合ってくれました。

 今のところ、中止する予定は全くなく、自民党も恒常的に街宣活動をやっているね、と評価されるよう、極めて地味に、続ける以外ありません。

 少なくとも、来年の5月までの青年局長の任期中は、私自身、弁士一人でも、あくまで党の活動として続けます。そこが終われば、ハンドマイクで、自分の名前を掲げて、街頭に立ちます。

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