2001年9月4日(火)
【自由民主党中国ブロック県議会議員研修会】

 自由民主党中国ブロック県議会議員研修会参加のため、昨夕訪ねた小郡から、午前6時過ぎの新幹線で帰岡。
 実は、「研修」メニューの中に、夜の「きらら博」視察が、含まれていたため、水面に映る秋の月を背景に、本当に美しい「きららスターライトファンタジー」を観ることができました。

 中国五県から、約50人の議員の出席でしたが、スーツの集団が、「ちゃ、ちゃ、ちゃ、きらら!」なんて、やっている姿は、間抜けというか、不思議というか、妙に楽しかったです。
 実に、変な業界です。


 他地区の議員と接して感じることは、一人として同じタイプで括られる議員がいないことです。参考にしようもないくらい違っている、そんな感じです。
 それでも、皆まで言うな、よくわかる、そういう安心感もあるのです。

 例えば、広島県は、殆どの国会議員の秘書から、県議が生まれていますが、それぞれに、人生ドラマがあります。
 苦節20年というのは、ざらで、私のように、小選挙区制導入以後、しかも、5年間の秘書生活で、チャンスを頂けたのは、全国的にも、ごく希なケースと言えると思います。

 改めて、逢沢代議士への感謝と敬意の念を捧げたくなります。なにひとつ持たない私が、今、議員であること、相対的に自分の幸運さや責任を認識させて頂けるありがたい機会でした。


 また、同時に、例えば、一人区の議員は、かえって行政に対して物が言えないのもわかります。彼らの後ろには、まともに、数町、数村の予算的な要求があります。県の機嫌を損ねるわけにはいかないのです。
 さすれば、逆に、11人区の一人である私は、彼らの分まで、言わないといけない、そういう責務もあると痛感します。

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