2001年7月16日(月) 【危険な兆候】

 本日のママカリフォーラムでの個人演説会は、なんと主催者発表1000人の大盛況になりました。実は、今朝は、市議の先生方とのやりとりで、全く動員が見込めないので、パーテンションで区切るか、椅子を減らす以外ないだろうという話でした。

                 略

 私は、トップバッターで、ムチャクチャな応援演説をさせて頂きましたが、実は、肌でこの選挙の危険性を感じました。自民党は、あと2週間もつかな?という漠然とした不安です。
 それは、なにか、民意の汲み取りを間違えていないか?たいへんな奢りの状態になりつつあるぞ、という不満でもあります。

 ピークは過ぎたぞ、と、直感的に思います。
 舞台で、ずっとそんなことを考えていました。


 「変革」「改革」とは、なんぞや?ですが、これは、いつのまに、まずもって、国民に対して痛みを伴うことを覚悟して下さい、という話になったのでしょうか?小泉総理を歓迎した民意は、そこにあったのでしょうか?
 私は、違うと思います。

 民間が、リストラや倒産の恐怖と戦いながら、血の汗を流し、努力をされている中、一般常識と大きくかけ離れたところにある行政や政治家に対して、民間と同様の、あるいは、それ以上の努力を求めているのです。なぜなら、それは、言うまでもなく、我々の血税に基づくものだからです。
 それがまずあって、耐えられる我慢です。

 小泉総理は、まず自民党の改革をうたいました。自民党の中にあって、自民党を変えて、政治を変える、すなわち、自らの肉を切る、国民は、まずそれを評価したのではないでしょうか。
 行政や、なにより、政治家をリストラする、それが、改革なのではないでしょうか。我々が、見たいのは、行政や政治家が、国民よりも先に「痛ん」でいる姿です。まず範を示せ、と言いたいのです。

 構造改革をしたら、皆さんも痛みを伴いますよ、結果そうなったとして、なぜ、それが自民党改革の先に出てくるのでしょうか?
 自民党や政治をどう変えるのか?どれだけ、国民のため、日本のために、腹を切るんですか?我々が知りたいのはそこです。


 我々は、旧来の自民党に対して、政治に対して、YESと言ったわけでもなんでもありません。
 自民党が、総裁が変わっただけで、なにか信託を受けた、禊を受けたと捉えるならたいへんな勘違いです。もしそうなら、民意を履違えているとしか言いようがありません。

 2週間は、ぼろが出るには、十分すぎる時間です。私は、私なりに、自民党の動きに注視したいと思います。
 時代は、まさに、ドッグイヤー。このまま、乗り切れる保証など、どこにもないのです。
 奢る平家は久しからず。


 今回の選挙戦では、私が、応援弁士に立つことは、もうありません。
 ただ、20日(金)は、終日、自民党の街宣車に乗り込みます。私は、あくまで自民党改革をやはり叫ぶと思います。
 良くも悪くも、自民党が、日本の未来を大きく動かしているのは事実です。その自民党が変わらなければ、日本の政治は、決して変わらないのです。


 もうひと揺れあるのではないでしょうか。それをどう越えるのか。
 選挙戦は、長いです。

Copyright (c) 2001 SHINJI SATO Inc. All rights reserved.satoshin.jp