2002年9月20日(金)【岡山県国際貢献条例を!】

 昨日の「男女共同参画社会」に関する知事の若手議員への「冷水発言」は、昼の議員総会でも、取り上げられ、午後から一般質問に立った自民党の2期議員からも、知事への苦言となりましたが、知事から、お詫びの言葉は聞かれませんでした。
 多分、それほどのことと思われていないのでしょう。仕方ないことです。

 特に、今回は、知事の施策がどうという話では全くなくて、言葉のあやにすぎないといえば、それまでで、全体として知事支援が、いささかかも揺らぐものではない、好きか嫌いかの二者択一なら、好きであるという前提です。閉会とともに、忘れられる話かもしれません。


 私は、すぐに揺れ戻すタイプ(これを打たれ強いというか、ふてぶてしいというか、ええかげんというか、わかりませんが)なので、だんだんと割り切られない状態から、新しい方向を模索する状態になっています。
 というより、自分が変わらないと、状況は変わらんだろうな、としか結論がならないのです。

 少なくとも、見解の相違がどうというよりも、質問に立った若手議員に対して、知事から、「後ろ向き」「水を差すもの」と断じられた答弁が出た時点で、勝ち目がないというのがわかります。何を言っても、負けです。
 勝ち負けを競っているわけではありませんが。

 とりわけ、私のような11人区選出議員なら、私が、たとえ騒ごうが、岡山市がどうである、という事態にはならないと思いますが、一人区の議員が、知事にはまらないとすれば、それは、もう地域にとっての悲劇です。

 私の中では、今回の一件は、言い過ぎたとかいうレベルの話ではなくなっています。むしろ、なんでこんなに議員は弱いのだろう、なぜ執行部にこうもお伺いを立てないといけないのだろう、議員とはなんぞや、という、疑問になってきています。皆さんに選んで頂いて、なんの意味があるんか、そこまで追いつめております。

 特に、田中知事のようなカリスマ的な首長が出てきた時点で、議員は、吹けば飛ぶような、一方的な悪者になってしまいます。 ただの邪魔するだけの存在ではないか?


 一方、新議長から、若手議員は、質問をするのも結構だが、議員発議をせよ、という意向が示されました。でないと議会は変わらないぞ、という言葉も含めて。まことに、その通りです。それなのです。
 閉塞感は、議員、誰もが感じているのだと思います。選挙をする身で、回りの状況に敏感でない議員は、一人もいないはずです。誰一人、現場で良しとは思っていません。

 おそらく、個人的には、公約通り、16回連続質問はできるかもしれません。「こころ」も、1200号まで出るかもしれません。しかし、私が、やってきたことは、所詮、行政に主体的に動けと提言・批判を繰り返してきただけで、結局は、当局に丸め込まれてきただけなのではないのか。

 議会を変えるだのほざいてみたものの、じゃぁ、なにがどう変わっているのか、かえって、先輩議員には、お世話になるばかりで、それを称して、取り込まれたのだと言われたら、どう反論するのか。何をやってきたのか、これを繰り返して、なんになるの?選挙で何を言うんだ私は・・・。
 「こころ」も、愚痴を書いてるようじゃ、送られる方は、ただの迷惑です。

 つまりは、己がなにもできない言い訳のために、批判してみたり、仕事をしたふりをしていたようなものだ、と自戒するのです。
 そして、多分、放っておけば、偉そうにしながら、その実、行政や己に、負け続けることになるのです。
 いつまで、こんな不様なことを続けるのか。


 要するに、議員立法です。一本も、条例を作っていない地方議員が、執行部に何を言っても駄目です。条例を作って、これを執行しろ、となぜ言わないのか。それが議員はできるのです。いや、そうするのが、議員なのです。皆さんの「走り」になって、行政にお伺いたてて、してくれたら行政にありがとう?なんか、根本的なところを間違っていないか、我々は。

 そして、そこにいる誰かではありませんでした。やらないのは、私でした。議員が悪いのでなく、私が悪いのでした。知事が、斬新だろうがなんだろうが、そのことが、我々の評価ではありませんでした。
 行政の批判をしても仕方ないのでした。市民県民の代表として、法治国家で法で縛りをかけない我々が、間違っていました。

 質問し続けてきたのは、まだましだっただけで、本来は、議員発議まで、持っていってなんぼでした。政策提言と言うのは、執行部に提案することではなく、我々の決めたことを執行部に執行させることでした。

 全くあほらしいような答えで、皆様には誠に申し訳ない話ですが、3年半やってきて、原点にやっと戻りました。本当に皆様には、申し訳ありませんでした。


 いったい幾つ条例を作ることができたのだろう、「佐藤条例」と称されるものを作ることはできなかったのだろうか、そのために、自民党や他党と折衝することをなぜやってこなかったのだろうか、その中で、もっと議会の内部から変えていくことはできなかったのだろうか。

 至るところから、条例案が飛び出してきて、はじめて議会は活性化するのではないか、議論ができるのではないか。答えは、そこにしかにように思います。

 自己満足のように、今までの14回の質問項目を並べてみても、とても空虚な気持ちになるのがわかりました。欲しいのは、私が作ったと言える一本の条例です。


 次期があるかどうかわかりませんが、あると信じ、またそのように皆様にお願いして、必ず、まずは、一本の条例をまず作りたい。様々なジャンルの条例を何本作ったか、それが、議員としての評価になるように。
 そのためには、どうしても皆様のお力、お知恵が、必要です。そのために、お互いに議員を使いましょう。

 そして、まずは、はじめに、表題の「岡山県国際貢献条例(仮称)」を考えてみたいと思います。おそらく精神条例になるでしょうが、まずは、そこから、スタートさせたいと思います。

 おりしも、まもなく、国際貢献NGOサミットが、開催されます。


 思い切り腹が立っていたけれど、私は、怒りの対象を変えました。

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