2012年11月11日(日) 【岡南飛行場の夢】

 雨の降る中、昨年に引き続き、開港50周年を迎えた岡南飛行場で、航空フェア2012。
 子ども達の夢が、空の彼方まで広がっていく日になりました。

 岡南飛行場という県施設を地域の方の出店が囲み、県職員さん達も出て、雨天でも、これだけ多くの方に起こし頂けたことは、少なくとも、岡南飛行場が、岡山空港とは違う形で存在していることを認識認識頂けているのだと、ありがたく思います。

 その思いを平たく言えば、開会式で、まさに、小学生が、催しもの紹介の挨拶で言った、「僕達の大好きな岡南飛行場をもっと好きになってください!」という、この言葉に尽きると思います。

 間違いなく、岡南飛行場の新しい思い出が、子ども達に、生まれています。彼らがきっと、これからも、岡南飛行場を守り、育ててくれると信じています。「思い」が繋がりました!
  今の高校生達のさらに下の世代の子ども達も、追っかけ始めると思います。


 実は、本日は、石井知事の任期の最終日でした。2008年6月2日の「岡山県財政危機宣言」のときに、私は、総務委員長。消防防災ヘリコプター「きび」の購入等をめぐり、委員会は、大紛糾。
 個人的には、それに、知事の退職金をめぐる問題もありました。

 思えば、委員会の前日には、3時間以上かけて、委員会の打ち合わせということもありました。特に、消防防災ヘリコプター購入を総務委員会では、継続審査に付しました。が、しかし、急転直下で、自民党の議員団総会で採択に。
 そして、採決の時に、総務委員長が議場退席。

 今から、思っても、あの年の総務委員会をよく乗り切ったもんだなぁと思います。

 一方で、翌春の岡山市の政令指定都市化に向けて、議員懇談会の事務局長としても、動いていましたし、ある意味、議員としては、自信のついた、本当にやりがいのあった年でした。



 そこから、『行財政構造改革大綱』を策定・実行、倉敷チボリ公園閉園という、岡山県政史上、もっとも厳しい一年でした。

 雨の中、防災拠点=岡南飛行場を飛ぶ、あの年の象徴である「きび」をしみじみと見つめました。

 確かに、今日、ひとつの時代が終わりますが、岡山県は、明日からも続きます。子ども達の未来のために、あの年を、今日を、私は、決して忘れません。

 なにより、チボリを守れなかったことは、生涯の悔いとして残りますが、厳しい行革の中で、伊島町の県立児童会館を未来科学棟として、残せたことと、この岡南飛行場とうまく繋げたいのです。


 空から、さらに、宇宙へ! もしも、将来、1人の宇宙飛行士が岡山から生まれて、その時、思い出として、岡南飛行場と未来科学棟があったことが語られたら、全てが報われます。
 その時には、パイロットやキャビンアテンダントや航空整備士や技術者や科学者や、自分の大好きな道を進んでいる子ども達が、もっともっと、たくさん出ていることでしょう。

 かように、ジャンルを問わず、人を守り育てること、それは、お金には換算できませんが、それこそが、行政のロマンだ!と、思います。

 なによりも、それって、未来を担う子ども達にとって、本当に良いことなの?という、いたってシンプルな基準が、大人達が、一番、判断を間違わない基準のようにも思います。


 さらに、第26回曽根学区コミュニティ祭り。今年も、へちま水売り切れ〜。

 馬場俊英=『平凡』
  http://www.youtube.com/watch?v=Mxl3sQ2qHSQ&feature=relmfu

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