2011年9月17日(土) 【道州制について】

 本日の降ったりやんだりの天気のように、停滞気味に、考え込む一日でありました。



 明確な言葉や指針など、誰かや何かに求めると、かえってさびしくなるようなそういうときに、最後は、歴史上の人物、今日もまた、晋作について考えています。
 もちろん尊王攘夷の志士ですが、家格も上中級家臣で、周旋家や政治家や商人ではなく、ある意味、天才肌の実践的革命家のように思えます。つまりは、創造的破壊。


 今議会は、道州制に対する意見が様々ありましたが、私は、道州制推進については、石井知事と考えは違わないところです。あくまで推進の立場です。

 なぜ今、道州制なのか?のそもそも論にまで戻ってしまい、私は評価しておりませんが、5ヵ年の中期計画の「夢づくりプラン」に高々と掲げたばかりに、かえって後退した感があります。
 しかも、10年後には、県も県議会もありません的な積極答弁が仇になったように思います。

 それでも、私は、基本的にこの点に関しては、知事とスタンスは変わりません。どれだけ、「こころ」に、綴ってきたか・・・。http://satoshin.jp/kokoro/kokoro_e01.html


 ただ、問題は、平成の大合併における市町村合併で、県の方が、広域、補完行政で、市町村のフォローができていないことへの不信感があることです。

 広域行政であれ、道州制であれ、推進すると、今の岡山県地域が、発展する以前に、そもそも守られないのではないか?という不安については、今、市町村が合併して良かった、県に助けられたという声が上がらない限り、払拭されないでしょう。

 少なくとも、合併で周辺地域となった場合の原状について、議員なら誰もが痛感していることであり、行政が広域になることは、必ずしも地域住民の幸せに結びつかない、それどころか、地域を破壊するという意識が、あるのです。

 県の創造的破壊と空中分解は、全く違いますから、今の県政に、地域の発展を保障する実績、すなわち、担保がありません。


 さらには、行財政構造改革のコスト削減だけではなく、ふるさとの山河を守るための維新に匹敵するような国家構造の大改革であること。つまりは、国家繁栄、祖国日本を守るための道州制導入であることが、大前提です。

 一方で、自虐的に、県は要りませんというようにも取られてしまっています。
 しかし、本来は、県の自己否定ではなく、あくまで自己犠牲です。これもまたロマンなのですが。


 その中で、県議会議員定数削減など瑣末なことではないか、と思います。
 国家存亡の危機に、妙な自己肯定感を持って、逆に、選挙や己の保身に、汲々とすることで、泣くのは国民であり、子ども達です。そもそも、 明治時代から変わらない行政区域で、民間の現状に呼応しない議会が続くわけがないのは、自明です。もはや、黒船は、水平線の先に見えているでしょう。なぜそれが分からぬか。
 『吉田松陰』 http://www.youtube.com/watch?v=mFzp_EaurBA

 それにしても、恥ずかしながら、Facebookの使い方がイマイチよくわからず、恋愛対象を「男性」として、公開しておりました。慌てて女性に直しました。慎んで訂正いたしました。もちろん、女性も、妻だけです。なんで恋愛対象なんて、項目があるのかしら。

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