2008年12月27日(土)【さようならチボリ・・・】

 昨夜は、僅か1時間半でしたが、家族で倉敷チボリ公園を訪ねました。結構な人出で、アトラクションも幾つかは長蛇の列。
 「ありがとう」と言うよりも、「ごめんなさい」としか言いようが無く、分かれば、県議会議員など、袋叩きにあっても文句は言えないと感じつつ、美しい園内を駆け回りました。

 息子は、誰や彼やと、しばしば来ており、毎回、ボートとチボリ鉄道に乗るのですが、昨夜初めて、鉄道の先頭車両に乗ることが出来、喜んでいました。

 ただ、あと5日、夜警はあるし、なにより、最終日のカウントダウンに、お邪魔する資格はなく、これが、多分、家族で最後の倉敷チボリ公園になりました。
 来年は、門は封鎖され、アトラクションが少しずつ取り壊されていくクレーンの姿が、外からは見えるだけになるかもしれません。


 ハンスの冒険のCDも売っていましたが、グッズも飛ぶように売れていましたし、もしも、いつもこれだけのお客さんが来てくれていたら・・今さら、始まりませんが・・何より、それを言う資格は、私にはありません。

 ともかく、これだけの公園を失ってしまう・・・岡山県らしいな、と自嘲気味に言いたくはないですが、本当にこれ以外手段がなかったのか・・・・岡山弁で言えば、本当に「ぐびぃのぉ」です。なんなんだ。

 誰に対してというよりも、私自身が、本当に情けない、愛し守り、育てられないのなら、そもそも生むな・・美しいチボリは、決して鬼っ子になるはずはなかったのに・・・。
 ファジアーノ岡山に、こんな辛いことが起きないように・・・。



 新聞によると、倉敷チボリ公園に昨日、石井知事も、年末挨拶?に行かれそうですが、従業員の方々は、再就職も当初引く手あまたと思われていたもののこの景気状況、まさに、今さら・・・という雰囲気だったようです。

 ただ、しかし、個人的には、どうあれ知事が、倉敷チボリ公園に行って下さったことには、感謝もしたいし、知事が一番苦しまれたのだろうと理解したいですが、やはり、うまく伝わっていません。
 なぜこういう肝心な部分が、ちぐはぐになるのか本当に残念です。

 知事からは、倉敷チボリ公園に関して、岡山県民への愛、岡山県民が織りなす思い出への愛、他県から来られる方に誇る愛・・・残念ながら、愛が感じられませんでした。
 淋しさや悔しさを共感しないのが、人間の強さではありません。何もできなければ、せめて一緒に泣くぐらいできるはず。

 いつも安全な場所から、高みの見物を決め込み、自ら撤収命令を出さず、ただ食料と油を絶った指揮官が、今さら、労いの言葉もないでしょう。ことこの件に関しては、そう言われても、仕方ないです。どれだけの人間が傷ついたか・・・。

 坂口社長の言葉を借りれば、「始めてはいけない戦争」を最後の最後まで戦って下さった方々に、本当に心から感謝を申し上げたいと思います。会わす顔もありませんが。


 たとえ今後どんな業績が上がろうとも、倉敷チボリ公園の開園から閉園に到るまでの顛末は、後世から、岡山県政最大の失政と評価されるべきものであり、石井県政の考えられる最大のマイナス点であると思います。こういう岡山県だと。
 子ども達の思い出は、破壊されました。


 しかし、当然、我々議員は、同じ穴の狢。
 少なくとも、私は、昨年が、行財政改革・道州制等特別委員会委員長、今年が、総務委員長ですから、倉敷チボリ公園が閉園に到った議会側の責任者の一人であることに間違いはありません。
 子ども達に倉敷チボリ公園を残せなかったことは、私にとっても、生涯の悔いになります。それをこれから償っていく責務があります。


 明日のチボリの姿は見えません。どういう形で残し、どういう形で県が絡むのか、来年早々議論は始まります。

 どうか、残された数日の間に、倉敷チボリ公園を訪ねて頂き、さようならを惜しんで頂きますようお願い申し上げます。
 残念ながら、もはや、別れしかないのです。
http://jp.youtube.com/watch?v=jJ39aa0os4c&feature=related

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