2008年4月4日(金)  【パンダの件は
お詫び致します。どうかチボリにお越し下さい】

 岡山の飲み屋さんで、パンダが来岡することが話題になっているという情報が・・・・。げげげのげ。エイプリルフールの「こころ」がソースと思え、とってもまずいのねんねん。

 このままでは、オオカミ中年と呼ばれるので、パンダの生け捕りをするしかないのか。あるいは、瓢箪から駒のような手立てはないものか・・・。どうやったら、パンダは貰えるのでしょうか?

 真に迫った記述だったと自分では思ってはいなかったのですが、誤解を招く表現であったのは紛れもない事実で、お騒がせ致しまして本当に申し訳ありません。


 昼に、岡南飛行場を訪ねました。防災ヘリの拠点は、岡山空港に行くようですが、この地域に、管理事務所前で、ふれあい市のようなものが開かれて、将来的に、整備学校まで含めた航空産業の拠点をつくりたいというのが、私の夢です。



 夕刻には、懇談会開始前に、少し早く倉敷チボリ公園を訪ねました。園内をゆっくり散策したのは、久しぶりのような気もします。

 お世辞にも、賑わってはいませんでしたが、幸せそうな家族連れが多く、遊具も落ち着いていますし、パフォーマンスも地味ながら頑張っていましたし、若いカップルが暗がりで接吻などし(←もっと書きようがないのか?)、暖かい雰囲気に、満ちていました。

 本場のチボリを訪ねたときに、つまりは、チボリは、大切な「思い出」の場所なのだと感じたことを思い出します。外国人でも、それは分かりました。

 老若男女が、そう言えば、あの時、初めてデートしたな、亡くなった身内がいたな、仲間と来たな、家族で来たな、皆の笑顔があったな・・・と、暖かい気持ちになる、そんな思い出が何代に渡って積み重なる、それぞれのチボリがあって、しかし、チボリは、いつ来ても、いつも変わらない、文化というのはそういうものなのだと思います。「思い出の積み重ね」、チボリには、それができました。

 自分の人生の舞台の一部だから、大切な人の笑顔があったから、だから皆が愛するし、それだけ愛される公園だから、他所から人もやってくるのです。

 加えて、私も訪ねたことがあるアンデルセンの故郷、オーデッセをこだわって、かなり細部まで再現したオールドコペンハーゲンの街並みは、改めて感心しましたし、ハードとして、これ以上の公園は、日本全国探したって、そうそうあるものではありません。
 どうして、これが活かし切れないのでしょう・・・・。

 岡山には何もないのではなく、後楽園や瀬戸大橋や吉備路や美観地区や倉敷チボリ公園の素晴らしさに、岡山県民が気がついていないだけなのではないか。私達が愛さなければ、なんで他所から人が来るでしょうか。

 あるいは、倉敷チボリ公園は瓦礫に帰するかもしれません。思い出ごと破壊して。

 私達は、私達の「思い出」を守ることができなかった。大切な人の笑顔の思い出も消えてしまう。あるいは、思い出すらない、そんな後悔の念で、閉園になるからと、突然に行かれても、もう間に合いません。

 本当に、このまま無くしてしまって良いのかなぁ・・・・。

 全てを切ってしまえと言う前に、もう一度、たとえ閑散としていようとも、倉敷チボリ公園に行って、何かを食べて、何かに乗って、ゆっくりして頂けないでしょうか。もうひとつだけ、思い出をつくって頂けないでしょうか。自分の人生を愛するように、自分の人生の舞台の一部である公園をもう一度愛せないでしょうか。


 嘘でもなんでも良いから、パンダが来たら、きっと倉敷チボリ公園に人が来てくれるよなぁ・・・。動物一頭で変わる、そんなマジックはないのでしょうか。
 あまりに、あまりに、もったいないです。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜下記再掲〜6年半前の「こころ」より〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2001年9月8日(土)【ハンスに、さようなら(チボリ公園)】
======================================
 昨日の熱血の「こころ」の翌日に大変申し訳ないようなことですが、諸般の事情で、夕方にかけて、チボリ公園を久方ぶりに訪ねました。
 5、6回目になると思うのですが、今回初めてベビーカーを押して家族連れで行きましたら、このチボリ公園の素晴らしさを再発見させられました。

 個人的には、人数については、さることながら、新社長が、ご就任されたことにかかわらず、職員の方の対応自体は、もともと感じが良いと思っていましたし、これだけ、「思い」があるテーマパークは、珍しいのではないか、と再認識しました。


 コペンハーゲンのチボリを昨夏、訪ねた時、およそ日本、とりわけ岡山に存在することを疑問に思っていたのですが、子ども連れで行って、初めてわかったことが、たくさんありました。一人で、場内をまわっても、多分わからなかったことです。

 お年寄りに対しては、どうかな、と思いますが、特に、各所に、小さな子ども連れへのありがたい配慮が施設としてある、さらに、職員の方の気配りもある、うれしくなりました。

 おそらく、入場料が、今の半額で、もう少し、楽に、安く、食事ができたら、佐藤家的には、頻繁に訪れるだろうな、もっともっと木が茂り、たくさん木陰ができて、ちょっとした森のようになったら、月に1回は行きたいな、そんな気持ちにさせられました。
 チボリ公園は、全国に誇れる公園であると思います。


 やはり、自然公園であると同時に、アンデルセンやレゴを除けば、縁もゆかりもないデンマークの風景が日常と離れた一種のファンタジーになる、そんな公園が、岡山市から自家用車で1時間足らずのところにある、これは僥倖だな、と思います。
 しかも、実際、デンマークに行かれた方は、おわかりになると思いますが、かなりディテールにまで拘った、真摯な造りも、実はしている、本物です。

 岡山県民が、一人年に1回行けば、200万人は、軽く突破していたでしょうに。もっと愛してやれば良かった、とつくづく思います。私を含めて、まず、岡山県民が、魅力がわかっていなかったのかもしれません。


 とりわけ、チボリ公園の魅力は、ミュージカルエンターテイメントにあります。ベビーカーをずらっと外に並べて、子ども達と一緒に、「新チボリの森の12ヶ月〜いのちはめぐる〜」「新ハンスの冒険」を観たのですが、あんなに子ども達が、喜ぶとは!!

 私は、以前、「新ハンスの冒険」を一人で観て感動し、ビデオを買い、家でも見ておりましたが、ライブでは、カエルのピピンや人魚姫に、友紀を撫でて頂き、親の方が大喜び。なにより、能天気なハンスの生き様、さらには、演じられる方々の熱気がこちらにびんびん伝わってきて、大人まで勇気づけられます。

 きっと子ども達には、良い思い出になるんだろうなぁ、県外の子は、友達に興奮を伝えるだろうな、きっとチボリ公園の花は忘れても、ハンスは忘れないだろうな、と思いました。
 なんか、端っこの方の、ちょっとぼろい野外劇場で、妙なハイテンションで、よく考えると舞台装置は、かなりせこかったよなぁ、でも、勢いあったよなぁ。あったかくて、おもしろかった。それが、チボリ公園のイメージとして残るのでしょう。

 おそらく、中学生の初デートで、高校生のグループ交際で、ちょっと大人になって、そして親になって、やっぱり、チボリ公園に来たら、ハンスを観てしまう。仮面ライダーやウルトラマンのように、時代によってコロコロと姿は変わりません。ハンスは、ハンス。
 チボリ公園に行けば、いつもそこにいる、はずだったのに・・・・・。


 来年1月14日(祝・月)に、チボリ公園から、ミュージカルエンターテイメントが、消えます。
 なんでかなぁ?

 佐藤家的には、「ハンスを観なければ、チボリに行ったとは言えんね。」「今度来ても、絶対行くもんね」「て、いうか、ハンスを観に行くもんね」、と珍しく意見の一致をみました。
 おそらく、30分のこのミニミュージカル、子ども連れなら、殆どの親が、満足しているのではないでしょうか。どこにでもある回転遊具などより、遥かに。

 マッチ売りの少女が涙を誘うアンデルセンシアターと違い、無料がいけないのか。岡山県が、毎年突っ込んだのは、6億円の地代と、9億円以上の補助ですが、カルケバン劇場のミュージカルを含めて園内の文化事業に億単位で血税が入っています。
 逆にそのことが、真っ先に切られる理由です。


 もはや、民間主導ですから、県議会議員として、なにか申し上げるべきではないのかもしれませんが、一人の親父として、ミュージカルは、切るべきではないと思います。
 前述のように、そこには、もうたくさんの思い出ができていて、また重ねていけるはずのものだからです。そして、それは、おそらく集客の材料だったと思います。チボリらしさとして。

 加えて、ウイークエンドフェスティバルということで、この15日から、岡山県の9つの地方振興局が、各地の郷土芸能の披露、民芸品、特産品の展示販売を公園のど真ん中、プレーネン広場で行います。うーん。
 チボリ公園の真ん中に、のぼりが立って、富村のアユなんかが、売られるかもしれません。
 岡山県の各地方振興局は、頑張っちゃうのでしょう。そうかぁ・・・。
 ちょっと、よくわかりません。皆さんは、どう思われますか?

 また、今後は、地元プロがどんどんチボリ公園内で、演奏を開始します。仮面ライダーやウルトラマンの着ぐるみショーまではないと思いますが、いよいよデンマークを題材にしたテーマパークであるということは、重視されなくなると思います。
 むしろ、チボリ公園が、まさに岡山の文化の発信地になるということでしょう。それは、大切なことだとは思います。


 とにかく、現状のままのチボリ公園では、駄目なのです。
 ある種の割り切りが必要だと思いますが、デンマークのコペンハーゲンのチボリ公園のように、昼は、家族連れやお年寄りが集い、夜については、もう少し、大人の社交場にできるなら、本来の持ち味をそのままに、いけないかしら。生半可では、駄目なんでしょうねぇ。
 大胆に改革しないと、とても維持できない状態であるのは確かです。ともかく現状ではどうしようもないのですから。ファンタジーでは、済まないのです。


 いずれにせよ、岡山県民一人一人が、もっとチボリ公園を愛していたら、それをもっと伝えられていたら、ハンスは、ずっとそこにいたかもしれません。

 願わくば、どうかハンスに、会いに行ってやって下さい。

Copyright (c) 2008 SHINJI SATO Inc. All rights reserved.satoshin.jp