2007年12月19日(水) 【チボリという名の戦争】

 本日は、議会は、休会日。本来であれば、21日閉幕日を迎えて、連夜の忘年会に年末ムード絶好調になっていくのですが、今年は、そうはいきません。

 明日午後は、臨時で、本会議が追加され、倉敷チボリ公園に関して知事が現状での方向(これも一昨日の取締役会の紛糾で、詳細には示せませんが)を示し、緊急質問が行われますが、その後、緊急で、行財政改革・道州制等特別委員会を招集しました。

 チボリジャパン社の声を議会が伺う必要性を私は、強く認識しています。


 以下、この頃、単純に、「閉園反対論者」「閉園賛成論者」に二分して議会が紛糾しているような主張もあるので、私のこの問題の見解について詳述させて頂きます。

 途中、極めて不適切ですが、戦争に例えますことをお許し下さい。


 今回のチボリジャパン社(以下TJ社)取締役会の内容とは関係なく、私が、仮に、TJ社の経営者なら、現状のまま、倉敷チボリ公園が維持できるなどとは全く考えませんし、それを求めません。

 むしろ、行政の手から離れて自由度を高めた民間経営にシフトし、もっと言えば、第三セクターでなく、民間企業にしたいと考えます。むしろ、行政判断で、経営判断に介入してくる県は、足枷でしかありません。

 もちろん、デベロッパーを入れ、一部を除いて、今後、大きく公園の姿は、変わるでしょうが、仮に、チボリの名前がなくても、やっていける自信がもてる場所です。

 しかし、当座、企業として、地代は、間違いなくネックです。完全に、県が手を放すことで、おそらく、シュミレーションしても、県の支援が一切ない状態では、経営が軌道に乗るには、数年はかかるはずです。
 今、補助も切り、地代も切られれば、TJ社は、いきなり丸裸です。

 特に、賃貸借契約の一方の主体は、県で、TJ社は転貸なので、県が完全に手を引くと、TJ社とクラボウが、土地全部について、直接賃貸借契約を結ぶのは難しいでしょうから、このままでは、TJ社は、精算以外ないということになります。



 ところで、行政サイドからは、TJ社が、あるいは倉敷チボリ公園の現状の形ではないような次の手を打つために、当座、幾ばくかの支援が必要であるにもかかわらず、結果として、TJ社を潰してしまった場合、県民の血税を300億円以上かけてきた公園が、更地になるか、文字通り、完全に民間の手に委ねられることになります。

 行政が深く絡んできた開発、これからも、土地区画整理上進む中で、全て民間のフリーハンドにして良いのかという疑問も残ります。
 民間のために、道路整備や区画整理をしてきたのかという誹りは、免れず、たとえ都市公園の僅か一部でも、行政がポイントとして抑えておくことが必要ではないか、と、私は思います。
 しかし、倉敷が離れ、県も、それをもって離れるなら、全くの自由ということになります。

 これは、さらに、TJ社の161億円が、吹っ飛びますよ、という話にもなります。TJ社については、県の20億円の出資、財界からの支援、市民からのお金を全くゼロにする、最終最後に、チボリ公園から県が撤退するのは仕方ないとしても、いきなり県が全面撤退して、民間の金も吹き飛ばす、これは極めて重い判断ではないでしょうか。

 だからこそ、議会としては、今まさに、TJ社の話も、聞くべきだと私は言っているわけですが・・・・。



 極めて、不適切だとは承知していますが、これを戦争に例えます。

 非常に残念ながら、誰がどう言おうが、岡山県軍の敗戦は見えてきました。ただ、その後の、その地の、独立開放の望みも見えています。
 どうあれ、我が軍の降伏の時は近いですが、部隊を完全撤退するのか?
 再興の支援のために、いずれは完全撤退するが、当座は一部駐留させるのか?

 どちらも、責任の取り方としてあるわけで、良い悪いはないのかもしれませんが、少なくとも、倉敷チボリ公園に対して、現状のままの支援を続けて、このままの形で存続させるべきだと主張している自民党議員は、一人もいないとは思います。
 少なくとも、勝てる戦いではないことは誰もが認めています。

 ただ、現状は、知事という名の隊長が、勝手に、倉敷軍という援軍も来たらずで、敗戦を見越して完全撤退に向け、いわば敗走を始めた中、一部部隊が、最後の最後まで銃を放さず、当面は、今後の独立開放のため、駐留して戦い続けても良いではないか、と気勢を上げている、という状況ではないでしょうか。

 このことは、徹底抗戦、玉砕覚悟で、現実が見えていない守旧派、「閉園反対論者」がいて、県民の税金を垂れ流しながら、自分の面子に拘って、いっこうに敗戦を認めないといった低レベルのアホな議員がいることを意味しているわけではありません。


 端から戦争反対を唱えていた議員は、早期完全撤退を言うのは当然ですが、私のように、途中から部隊に加わってしまった者は、今さら、戦争反対でしたと言えるわけもなく、戦争の意味を考えながら、戦い続けています。あるいは、むしろ、これからの戦いに、意味を見出したいのです。


 そして、TJ社の取締役会の中には、まさに友軍として共に戦ってきた戦友がおられるわけです。あるいは、その独立開放を我が軍が支援すべき開放軍の中枢です。

 もっと言えば、彼らには、独立開放のための次の戦いが、必ずあるのです。その友軍に対して、完全撤退を言う者が、独立開放の後方支援すら打ち切れと言うことが、名誉ある撤退というのか、それはそれで無責任だと私は思うのです。

 そもそも、この戦争への参戦を呼びかけたのは、我が軍なのですから。それが、いつのまにやら大義が無くなり、敗戦の責めを全面的に、負わされそうになっています。いつのまにやら、我が軍が、被害者ずらしています。

 百歩譲って、前任者が始めた戦争でも、続行してきたのです。今となっては、そもそも大義があったのかすら、分からなくなっていますが。



 敢えて言えば、私は、県が始めた戦争ならば、その復興の道筋をつけるまでは、当面、一部駐留して、独立開放を見守り、支援もしたいという、当座一部駐留説です。

 もちろん、それは、地代の6億円をはじめ現状通りの支援を意味するわけもないですが、支援ゼロでもないということです。それが、戦争を始めた責任だとも思います。

 ことここに及んで、名誉ある撤退などあり得ない、敗走はしない、ということです。批判は避けられないし、みっともないですが、少なくとも、隊長が逃げているという印象を与えているのには、私は批判的です。



 議会も混乱しています。少なくとも、「閉園反対論者」と「閉園賛成論者」という単純な分離ではないからです。逆に、情報が少なく「閉園賛成」と声高に言い、知事の責任を問うだけなら、こんなに楽なこともありません。

 もっと言えば、「閉園賛成の人」が、シンプル論者で、それ以外が、利害調整論者です。調整の仕方が、多くあるのも当然で、意見も様々です。
 打ち切れというのは、実にシンプルで、格好良く、一見、勇ましいのですが、複雑で、非常にみっともない責任の取り方もある、と私は思います。

 少なくとも、県民の血税を垂れ流す無責任な「閉園反対論者」というレッテルを貼られなくてはいけない議員は、一人もいません。


 そして、こういうときに、最も相応しい言葉は、これです。
 「行くも地獄、引くも地獄。」・・・・・・それが戦争・・・

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