2007年12月18日(火) 【チボリ混乱】

 本日は、午前中、産業労働警察委員会、行政改革等特別委員会、さらに、党のチボリ研究会のトリプルヘッダー。

 今回の一連の騒動に際して、議会も、チボリ公園サイドの意見を聞く場面を設けるべきだと動きましたが、かなり不調に終わりました。努力が報われない日で、ややがっくりしています。

 私は、闇雲に税金を投入して、倉敷チボリ公園を存続させるべきだとは主張していませんが、議会は議会の判断材料が必要なので、ヒアリングの必要性を感じていますが、この紛糾状態で、圧倒的少数説になっているようです。混乱した情報の中で、情報ソースを辿ったり、反対意見を意図的に収拾するのは、私は、当然だと思います。
 ただ、認識が浅ければ、私は、守旧派のようにも見えるかも?


 これは、根本的な発想の違いもあるように思います。
 仮に、破綻した第三セクターに歴代の議長が取締役として就任し、議決で、税金を投入して支援や融資を行ってきた責任を経営責任として、どこまで議会が認めるかという、認識の違いだと思います。
 私は、法的な責任がないとした場合でも、少なくとも道義的な責任はあると思うのですが、どうも私の感じ方は、かなり広義の責任のようです。

 また、経営者や責任者は、要は、自分の腹が痛むかどうかの違いだと思います。己の腹が痛まないなら、傍観者や批評家でしかありません。政治関係者は、常に責任者だと思うのですが、公費を損するだけで、自分の懐が痛まない人間の判断は、やはり、どこかずれているんではないか?と思います。

 行政判断と経営判断のズレというのが、今後も響いてくるような気がしてなりません。議会は、どちらサイドにも立てていないのでは?議会が方向を決めても良いのですが、これでは、知事に振り回されているだけでは?

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