2007年12月5日(水) 【その男執筆中につき】

 本日は、しばれます。ここまで一日中、33回目の一般質問原稿執筆。「こころ」は、ストックでもあるので、めどはついてきました。
 が、しかし、はっきりしているのは、私は、風邪をひいてます!!これは、間違いない!!なんとか、これから忘年会に行って、できるだけ早く寝ます。この時期、夜のはしごが、きついです!
 さて、昨夜、倉敷チボリ公園の会合を経て、やはりどうしても、議場で問いたくなりました。終わりでなく、始まりを感じているから。
 ただ、幻の質問になる可能性もあり、今の気持ちとして、一応。

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本来であれば、行政改革等特別委員会の委員長として、本会議で、倉敷チボリ公園のことについて伺うべきではないのですが、どうしても知事の思いを確認させて頂きたく存じます。

 私は、全くゼロで良いとも思えませんが、確かに、県であれ、市であれ、税金を投入する行政の支援は、今後、難しくなっていることを理解します。ただ表現は不適切ですが、少なくとも、行政の手から、少しでも離れることが出来れば、チボリは自由になれると考えてもいます。

 それは、現状をいかようにも民間が活用できるということでもあります。もしも、地場か、大手か分かりませんが、いわゆるデベロッパーの手による再開発がなされれば、文化芸術施設でない収益を目的とした施設を作っていくことも可能でしょう。

 もちろん、当初のチボリ公園やチボリコンセプトとは、似ても似つかぬ物に、なってしまうかもしれません。あるいは、それは、アウトレットモールかもしれない、ショッピングモールかもしれない、ブランド商店街かもしれない、マンションかもしれない・・・。それでも、少なくとも、10年かけて育った美しいチボリの森を一部でも、そして、コンベンション機能を残しながら、もっともっと集客が見込める拠点になりうるのではないか。チボリは、無駄ではない。決して死にません。

 いずれにせよ、将来は南北連続立体化で美観地区や商店街と平面で連絡する、倉敷駅前の超一等地に、美しい都市公園が既に出来ていて、これからいかようにも使えるとしたら、必ず活路があると信じます。もちろん、このことは、関係者の責任問題と裏腹です。いかなる新しいスタートをするにしても、議決をしてきた県議会も含めて、責任が発生すると思います。ただ、操車場跡地問題で苦しみ続けている岡山市民として、私が申し上げたいのは、いかなる批判を受けようとも、どういう形であれ、決して更地にしてはいけないということです。
 知事の思いを確認させて下さい。

 「重大な局面」に立つ知事が、いかような判断をされようとも、倉敷の街を倉敷チボリ公園を愛しているということを、そして、決して更地にしたいわけではないのだということを知事のお言葉で、はっきりと聞かせて下さい。

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