2007年4月28日(土)【チボリの名称について】

 町内会の総会や運動会に参加しながら、途中ある老人介護施設に立ち寄りました。82歳のご高齢の女性は、心身共にお元気なはずが、人との接触が少ないからか、鬱の状態で腰が立たなくなっておられました。
 施設内で頂戴した一票の重みを感じながら、私ごときがお邪魔して、あれだけ喜んで頂いて、自分のなせることを考えましたが、いったい人間の幸せは、文字通り畳の上で、最期を孫に看取られたら、金があろうがなかろうが、地位や名誉があろうがなかろうが、それ以上なにがあるのか?というような気がしてきました。
 何日、何年も、笑っておられない高齢者の方は、かなり多いのかもしれません。自分の親すら、特に笑わせていないので、心が痛みます。

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 チボリ公園についてのご意見があり、私の考え方を書かさせて頂きます。特に名称に関して。

 チボリ公園は、バブル絶頂期に構想されたもので、草木一本、オールドコペンハーゲンの施設のれんがひとつまで、こだわりにこだわり、土すらも、本場のものと同じものを輸送してきたと言います。
 コペンハーゲンのチボリ公園は、確かに世界的に著名な公園で、世界中のディズニーランドがそうであるように、日本に初輸出されたチボリにはチボリコンセプトがあるのは、当然と言えます。あるいは、アンデルセンは、その核です。
 当初は倉敷とコペンハーゲンの街としての類似もあったのでしょう。チボリという名称に拘るのは、ディズニーに拘るのと同じことです。


 問題は、チボリコンセプトを崩したのは、インターナショナル側ではないかということです。92年以降の赤字改正の起死回生の一発として、開設以来の公園のイメージを一新し、絶叫型のライドを導入したのは、コペンハーゲンの戦略ですが、同様の路線を倉敷が取れるとは限らないということです。

 私も訪ねましたが、あの本場チボリ公園が、レジャーランドに堕したという声が、先方の地にないとは限りません。


 今となっては、そもそもの根本的な間違いは、営利目的のテーマパークを土地代まで払って、公共が絡んで行うということに尽きます。

 公共の公園にして、いわゆるテーマパークと決別できるのなら、チボリの呼称を捨てても構わないのではないかというのが、私の考え方です。もはや、チボリコンセプトが崩れた今となってはなおさらです。

 つまりは、土地の購入もできません、今後も赤字は続きます、という中、周辺の状況から考えて、民間への譲渡も考えにくい、要は、県民市民公園にして、指定管理者を選び、粛々と赤字を増やしていくという方向か、訴訟覚悟で、民間に多大なる損失を与えて、150億円の出資金をもって、累積赤字や取り壊し代全てを精算して廃止する方向しかない中で、チボリの名称など、今さら大きな問題ではない、だいたい、「チボリ」の意味なんて、あるいは、チボリ公園がコペンハーゲンにあるなんて誰も知らないだろう、と開き直るしかない、そういう状況だと思います。
 ある意味、極限の状況に来ています。

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