2004年10月26日(火)
【義務教育国庫負担制度について】

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 先日、文部科学省の方から、義務教育費国庫負担制度について伺いましたが、この問題は、義務教育の本質、国と地方のあり方をめぐる根本的な問題であることを思い知らされました。
 私は、突き詰めれば、方針をよう決めない文部科学省、さらには、手を放されたらよう自転車をこぎませんという地方が、しっかりすべきではないか、と思います。
 特に、文科省は、6・3制の改革や、教育委員会制度の廃止など、財源の話とは別に、義務教育改革については、進めてもらわないと困ります。
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 そもそも義務教育とは何なのか?という定義は、非常に難しいものあります。要は、2つの側面があります。ひとつは、一個の人間としての完成を目指すという側面であり、ひとつは、国家として国家の構成員国民の基礎となる人材を育成するという側面です。
 要は、このバランスの問題だと思います。

 ゆえに、「受益者」たる「国家」が、義務教育については費用を負担する、具体的には、入学料・授業料等をとらず無償であるということです。この説明は、改めて聞けば、そうだなと思います。
 「国家」というと抵抗がある方も、共同社会の構成員として相応しい人材を育成するために、共同社会が教育にかかる費用を負担すると置き換えて頂ければ良いと思います。

 日本国の場合の、国民の三大義務は、労働の義務、納税の義務、教育を受けさせる義務ですから、義務教育が育成を目指す人材は、そういう義務が果たせられる人材ということなのでしょう。


 ただ、国家にとって役に立つかどうかという視点だけが、極端に強調されれば、それを全体主義と呼ぶことになるでしょう。逆に、公の構成員たることを忘れた個の重視は、思いやりや優しさ、謙譲の美徳等々を失わせ、公の秩序が維持できなくなり、結果として個も潰れます。

 そもそも、何のための義務教育かを考えると、義務教育である小・中学校教育と、そうでない高校教育については、自ずと問題へのアプローチが変わってくるという認識は重要だと思います。それは、不登校や障害児教育等々、教科書検定や教育基本法や君が代・日の丸問題全てに繋がってきます。




 義務教育費国庫負担制度は、憲法の要請に基づいて、こうした義務教育の根幹(機会均等、水準確保、無償制)を国が責任を持って支える制度ですから、論理的には、国が全額負担するのが筋かもしれません。
 ですから、「国庫負担金」とは言いますが、「国庫補助金」とは言いません。
 しかし、実際は、市町村立の義務教育諸学校の教職員(約70万人)の給与の半分となる約2・5兆円を国が負担しています。では、あと半分はというと、実は、県の負担です。ゆえに、教職員の任命権者は県にあります。
 ところで、小・中学校の設置・運営は、市町村です。非常にややこしい構造になっています。

 こうした三階層の構造は、あくまで歴史経緯と言っても良いもので、就学率を上げるため、無償にしたものの、その費用負担はというと、100年以上揺れ動いているもので、ただ、しかし、世界的潮流は、全額国が負担で、国家再生のキーワードとして、教育を掲げる国も、珍しくはありません。
 特に、米英が引き合いに出される事が多いのですが、国庫負担を止めようかという日本は、世界に逆行しているという批判があります。



 ではなんで、日本は、特定ものもにしか使えない国庫負担をやめて、なんでも使える地方交付税で一般財源化しようとしているのか、と言うことですが、これがいわゆる三位一体改革の流れです。
 国庫補助金、地方交付税を縮小する代わりに、税源を移譲するという三位一体改革のもとは、5.5兆円国庫補助負担金を廃止し、5.5兆円税源を移譲するという平成14年の「片山プラン」です。
 税源が、国:地方が3:2、実際使われるのが、国:地方が2:3というアンバランスに、全ての間違いがあるわけですが、それをイーブンにしようという三位一体改革そのものは、正しい方向のものです。
 特に、無駄な公共事業や、政策誘導型の奨励的な補助金は、減らして良いものです。

 問題は、補助金や地方交付税を減らした分だけ、税源が増えないということで、その不信感が、今回もあるわけです。また、国の縛りがないと、義務教育の根幹(機会均等、水準確保、無償制)を維持することはできませんという、極めて自虐的な思いが、地方にはあります。



 ただ、わけがわからんのは、減らしても良い補助金を言いなさいよという夏休みの宿題に、地方6団体が、金額的に合ったからか、この義務教育費国庫負担金を減らしても良いよと答えてしまい、一方で、地方から反対の声が上がっているという事態です。
 特に、改革派と言われる知事は、皆反対の中、我が石井知事は、立場上、思い切り削減の旗振り役になったということで、これは、今回の選挙の争点でもありました。
 そして、文部科学省は、省益をかけても、この負担金を確保すべく、財務省と戦っているわけです。



 こういう状況の中で、私が思うに、要は、この義務教育の三階層がいけないのではないか。本来は、義務教育費は全部国が負担すべきですが、さもなくば、財源も権限も、市町村まで降ろすべきだと思うのです。教職員の任命権も、財源も全て、政令指定都市であろうがどうであろうが、市町村教育委員会に降ろすべきです。はっきり言って、どっちに転んでも、県は邪魔です。県費負担制度も、任命権も、廃止すべきでしょう。それができないのなら、あるいは、当面は、この制度は維持すべきだと考えます。


 しかし、私は、突き詰めれば、方針をよう決めない文部科学省、さらには、手を放されたらよう自転車をこぎませんという地方が、しっかりすべきではないか、と思います。
 実は、国庫負担金の廃止自体は、時代の趨勢と、文部科学省は考えているのではないか。それよりも何よりも、義務教育改革案を早く示すべきです。
 実際は、改革案から逆算しないと財源を計れないのに、いきなり廃止と言われて、対応不能です、平成18年度末まで待って下さい、と時間稼ぎをしたいようにも見えます。

 もっと言えば、文部科学省自体が、義務教育のあり方や教育基本法の改正問題についても、真摯に論じてこなかったのではないか?小泉ペースに負けちゃってませんか?という印象も受けます。
 6・3制の改革や、教育委員会制度の廃止など、財源の話とは別に、義務教育改革については、進めてもらわないと困ります。


 昨日、自民党の部会で、私は、県議会として、義務教育費国庫負担制度の維持を言うにしても、同時に、義務教育改革案を早く示すことを文部科学省に求めましょう!と申しました。

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