2003年10月15日(水)
【森林保全税に断固反対します】

 連日の内容をどうかお許し下さい。

 個人的に、森林保全税の導入という県の施策に対して、反対活動を展開し始めておりますので、私の立場をご理解頂きたいゆえに。

 一昨年のITインキュベーションセンター建設反対以来の謀反、あるいは、既に暴走状態かもしれません。
 獅子座的には、躁状態?A型で、やや控えめ。


 本日は、農林水産委員会にて、森林保全税に関して、その手段・効果についての疑問、増税の時期の疑問、環境貢献企業への一律課税への疑問、他の税への手法の転換の不安、を理由に、明確に、反対しました。

 ただ、目的には、賛成であり、森林保全の予算獲得をしたいという思いも同じです、と強調もしました。


 最終的な部長答弁は、「森林保全税は、総務部が、課税自主権に基づいて、新税を創出しようと思って動いているものであり、農林水産部は、その使途を検討しているだけなので、答える立場にはない。そういう意見があるということを総務部に伝える。」というものでした。・・・・・・・これは、かなり、変だと思います。

 皆さんは、こういった仕組みで、課税されようとしています。とりあえず、大義名分があって、皆さんから取れそうなので、担当の他所の部署が取ってから、私らは、使い道の方を考えますよ。森林以外には使わない約束だし、基金を積み立てて、使途は自由の金が、降ってくるのだから、良いじゃないですか。という話。


 多分、500円という額に抵抗はないかもしれません。目的も納得。でも皆さん、何に使われるかの数字の裏付けはありません。広く薄く負担するとは言うけれど、税金は、もう十分に払っているじゃないですか。その税金が、どれだけ無駄になっているのか?今、払っている中で、やりくりして下さいよ。なんで増税するんだよ、おかしいじゃねーか。
 それが正論ではないですか?

 私には、まるで、地方分権時代に、大義名分を掲げ、新税を作る実験のように見えます。こんな増税の仕方が許されて良いものでしょうか?

 12月定例会で、是非、知事に、伺いたいと思います。


 ところで、既に、関係議員から、お叱りを受けています。「佐藤には、水源かん養、森林保全について勉強してもらわなくては困る」などと。

 全く議論が、かみ合っていません。私は、目的を問題にしているのではないのですから。あくまで、手段がどうかを言っているのです。

 いずれにせよ、反感を買うことになるだろうという覚悟はしました。ただ、意見が違うだけで、人間ですから、そういうこともあるでしょう。


 「どんなときも、どんなときも、僕が僕らしくあるために、‘変‘なモノは、‘変‘と言える気持ち抱きしめてたい。」

 そして、佐藤真治なる議員を使って少し、いろいろ試してみたいという気持ちがあるのも事実です。結果がどうなろうとも。
 本音を言えば、3年目と、5年目で、周囲や自分が、どれだけ変わったのかも知りたいのです。

     =============================

【第三次行財政改革大綱(案)に思う】

 本日、各常任委員会で、第三次行財政改革大綱案が示されました。残念ながら、総務委員会における森林保全税と大綱案の議論の詳細は、掴んでいません。

 午後からは、特に、行政改革・国体等特別委員会を開催。大綱案発表を受けた異例の追加開催です。
 法的には、委員会は、委員長権限で招集できますが、追加となると、実際は、様々なご協力を頂かないと開けるものではありません。

 関係各位のご協力があって、9月定例会の異例の中間報告と委員会追加開催ができたことは、全く目立ちませんが、委員会運営の成果だと自負しています。


 大綱案については、特に、独自の職員給与削減については、士気が下がるという意見も出ました。
 確かに、リカバリーがないと夢がないのは事実ですが、民間のリストラは、解雇を含むわけですから、応分の負担は、頂かないといけないかもしれません。


 実は、第一次、第二次大綱は、審議会の提案を受け、いきなり大綱発表になったと聞きますが、今回の第三次は、(案)の段階で、議会の意見を聞き、パブリックコメントの手続きも取っています。

 しかし、議会的には、全体協議会で、協議はされますが、議決はされません。すなわち、敢えて言えば、全て行政の主導で、議員や民間の意見は聞き置くけれども、あくまで、行政の指針であるということです。

 もっと言えば、民主的コントロール自体は、十分にかかっていませんから、法的拘束力がありません。

 実は、「夢づくりプラン」も、議会の議決はなく、協議を経ただけのものです。いわば、ひとつの指針であって、条例でもなんでもないのです。

 にもかかわらず、県政推進のバイブルのように、予算までついたりする、あるいは、公共事業30%カットのような方向が、大きな拘束力を持ったりする。
 私は、これ自体が問題だと思うのです。
 また、決定までの仕組みも、問題です。


 行政の推進にあたり、審議会だの協議会だの懇談会だのを作り、結果として、行政に誘導されたようなその答申や意見や提案なりが、錦の御旗のようになり、これは、なんとか審議会の出したものですから、こうなんです、などと、さも決定のように言われるのを議会は、黙って聞いて参りました。

 もっとも、そういった諮問組織に入った方々も、少なくとも、行政に逆らう術がなく、あるいは、黙って聞いておられた、一番の被害者かもしれません。

 ともあれ、答申だの意見だの提案は、実は、一言で言えば、「じゃから、それがなんなら」なのです。法的拘束力もなければ、責任の所在も不明確なものも多い、答申や意見や提案に、なんで、選挙を経て民意を代表した議会が、縛られなくてはならないのか。
 なぜ、議会は、こうなのだ、と、言えないのか。

 理由は簡単です。議会が、「勉強していない」から。その一点に尽きます。わけがわからんから、黙って追認するしかできないのです。

 「先生」という言葉に躍らされ、制約された情報の中で、「頷きトリオ」か、「おねだり小僧」になるか、いずれにせよ、「お上」の手のひらの上で弄ばれる、そうであれば、なんで、これで、市民代表と言えるのでしょうか。


 ところで、自民党が、行政の施策に反対するなんて、してはいけないことでした。政権与党だから、共産党じゃあるまいし、反対するもんじゃないよと、たしなめられるのが落ちでした。

 よく考えれば、議院内閣制ではないのですから、県民党を標榜するような知事に、与党も何もないのですが、永田町がそうだから、地方も、自民党は、政権を持っているような錯覚に陥ります。

 実は、大統領制下においては、おそらく、大統領と、議会の多数派、あるいは、議長は、対峙する政党の方が好ましいぐらいかもしれません。


 このあたりが、大きく変わってきている、私は、今そんな気がしています。少なくとも、地方の時代に、大統領制をとる地方では、よほど議会がしっかりしていないと、行政は、暴走します。
 議会は、どんどん変わっていかないといけません。

 少なくとも、「お上」のすることに間違いはないと、信じて良いような極めて優秀な公務員(あるいは官僚)に、日本は、地域は、支えられてきましたが、民間の声は、遠く届かず、その神話は崩壊しつつあります。

 公務員試験に通ったら、生涯の安定が得られるということだけが、公務についた動機であるような輩がいたら、己の保身のために、民間を泣かせることも厭わないかもしれません。
 本来、「公」に奉ずる思いが欠けている人間が、公務についてはいけないのです。

 そういう時に、議会が、本来の民意を代表した意志形成、意思決定機関たる姿にならないと、気がつけば、民間は細り、行政だけが生き残る、そんな時代になりかねません。いや、既になっているかもしれません。


 大綱案は、やはり、行政の作です。どれだけ、民間の血を入れられたか、入れられるか、議論は、まだまだこれからです。

 森林保全税に、第三次行財政改革大綱(案)。ある意味、議会にとっては、試金石です。

 悔いのない暴走をしようと思います。

Copyright (c) 2003 SHINJI SATO Inc. All rights reserved.satoshin.jp