2000年7月24日(月) 【吉備高原都市】

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 「こころ」が、ハイピッチなのは、半月近い休止が、近づいているからであります。緊急ネタとも言えないかもしれませんので、どうか、ごゆっくりお取り扱い下さい。(最近、長文化しております。お許し下さい。)
 近しい方の水難事故、火災事故が相次いで起きています。皆様くれぐれもご注意下さい。

岡山県政史上、疑いなく水島コンビナート、新幹線開通、岡山空港、瀬戸大橋、チボリ公園、苫田ダム、情報ハイウエーなどと並ぶビッグプロジェクトが、この吉備高原都市だと思います。
 結論から言うと、まさに「お手上げ」です。
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 この構想は、もともと昭和50年に、基本構想、同52年、基本計画、同55年事業着手、平成5年、前期計画区域の基盤整備完了、平成11年後期計画Aゾーンの基盤整備が、完了した、という流れです。
 そもそも、なんで作ろうと思ったの?ということですが、当時を知る方がだんだんといなくなってきています。

 緑豊な自然環境と広域高速交通網のアクセスに恵まれた立地条件を生かしながら、保険・福祉、教育・文化、産業、レクレーションなど各領域にわたる高度の機能を備えた、魅力ある人間中心の21世紀を志向したコミュニティー都市の建設を目的とし、都市づくりのねらいとしては、
 @ 人と人、人と自然のふれあえる街づくり
 A 西日本の保健・福祉、教育・文化のセンターの形成
 B 地域の産業文化の振興
 C 既存都市の不足する機能の補完
と、非常に崇高な哲学のある構想でした。

 当初の計画では、人口3万人の美しい人口都市が、加茂川町と賀陽町の真ん中に出現する予定でした。ちなみに、現在夜間人口約1900人(昼間人口約2200人)です。
 また、前期・後期あわせて約1900haの計画面積のうち、前期432ha、後期A、B、C、D、Eゾーンと保全用農地のうち、Aゾーン180haの整備が完了した時点で、凍結されています。
 すなわち、吉備高原都市は本来は、現在の15倍の人口と3倍の面積の計画なのです。前期(440区画)は抽選になった分譲住宅(但し建築済みは384)は、後期計画のごくごく一部の420区画のうち60区画しか売れておりません。

 基盤整備に345億円突っ込みましたが、もはや限界でしょう。現在県庁内でも、担当は「室」から、「班」に超格下げになり、ともかくAゾーンの分譲地を売ることが主眼になっています。Bゾーン以降一部用地を取得していますが、「吉備高原町」というひとつの過疎の町が、あそこにあるのだと思えば、こんなものかもしれません。Aゾーン分譲まで、ではないでしょうか。
 消防局も中学校もありませんが、6割が岡山、倉敷に出勤する2000人の街なら、市内なら1小学校区にもなりません。例えば、公共交通機関をここにつなぐなら、もっともっと他に優先課題はあるかもしれません。
 これ以上、あの街に、とは、失礼ながら極めてなりにくいと思います。

 あえて無理からにするなら、県庁や振興局といった官公庁を移転し、職員の方々に住んで頂くしかないかもしれません。大学誘致(例えば岡山大学の移転)や、企業誘致もそうそう今後望めないでしょう。
 美観についての規制がきついので、自然環境は最高です。確実に高原が好きという方もいるでしょう。そういった方には、現状も悪くないかもしれません。隠居暮らしにも良いかもしれません。少しずつは、人口も増えていくでしょう。

 我々は吉備高原都市という美名に躍らされた感もありますが、最大の失政は失政として、本当に残念ながらここまでだと思います。申し訳ないですが、我々の世代以降に持ち越して、それで解決できる問題と思えません。売れないだけなら、日々赤字に突っ込むチボリより、状況は良いかもしれません。止めることができるのですから。

 我ながら、突き放したような本音を書いてしまいました。
 ご異論も多いと思いますが、ご意見をお寄せ下さい。

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