2002年10月11日(金)
【政令指定都市を考える その7 さいたま市】

 県外調査のため、4日のご無沙汰でございましたが、再開させて頂きます。暴走族対策、経済特区など、多岐に渡りますが、今日と連休中に一挙に報告させて頂きます。


 岡山県議会の「岡山市及び周辺市町合併問題議員研究会」として、一昨日さいたま市を訪ねました。本隊は、昨日・本日と仙台ですが、広域交通物流対策特別委員会を一日抜けて、さいたま市の部分だけ参加致しました。

 ところで、青春18きっぷの貧乏旅行では、青い京浜東北線あるいは、オレンジと緑のラインの電車に乗り、高崎か宇都宮方向に分かれるということで、私にとっては、東北か越後の旅の始まりが大宮ということで、あるいは、埼玉県そのものに、都会の印象がなかったのですが、埼玉県は、ここ10年で、人口100万人増の700万人。昭和40年には、人口300万人の県が、約40年で、岡山県の人口の2倍分を増やした計算になります。
 埼玉県だけで、スイスの人口に匹敵します。

 昭和2年から議論されていた合併問題ですが、昨年5月に、大宮市・浦和市・与野市が、合併し、さいたま市が誕生。人口100万人を越え、旧3市が隣接する旧大宮操車場跡地にできた「さいたま新都心駅」は、国の合同庁舎や、ジョンレノン記念館が入るスーパーアリーナを核に、まさに、未来都市の風格を備え、さらに、開発が進みます。
 まさに、既存の12都市に遜色のない文句無しの政令指定都市を目指しています。

 余談ですが、新都心のけやき広場南特設会場には、我が木下大サーカスが、9月14日から11月25日まで、頑張っておられます。


 さいたま市の合併の特徴は、何といっても議会主導であったこと。特に、3900項目に及ぶ幹事会レベルの交渉もあったようですが、平成6年に、政令指定都市問題等3市議員連絡協議会が立ち上がり、法定協議会に到るまで、5年を要しています。

 但し、この背景には、地元の商工会議所の動きがあり、とりわけ浦和商工会議所は、「さいたま市政令指定都市推進市民会議」を設立。機関紙を発行し、盛り上げに一役も二役も勝っています。ちなみに、この任意団体の活動費を市が補助していたのも注目に値します。

 また、ゴミ回収の有料化など独自の施策もあった40万人を越える大宮市と浦和市に挟まれた8万人の与野市も、市長が、他市に比べてひととしとっておられ、しかも市町村長会会長を務められていたことから、首長の働きも大きかったようです。

 なによりも、前述の関東地方を睨んだ国の出先機関の集積である「さいたま新都心」の整備は、結果として、合併の呼び水となり、今となっては、国の思惑もあったのではないか、ということです。

 いずれにせよ、京浜東北線を背骨に、経済の大宮市、文化の与野市、政治の浦和市との合併については、へそのない埼玉県の中枢として、前途洋々たるものがあると思います。

 一つの市に、J1、J2の2チームを持つさいたま市と岡山市の状況は実際比べるべきないのですが、政令指定都市を目指す街の迫力というのは、こういうものである、ということを痛感致しました。


 特に、岡山駅前に立つとそれを思うのですが、しかし、岡山の街が変わらないわけではありません。すなわち、岡山駅前の林原モータープールを中心に、本当に自然博物館や2つの百貨店やホテルが集積するような、例えるなら、キャナルシティーの2倍のようなものが、構想通りに出来るのなら、2時間圏域に1200万人という商圏どころか、世界を市場にした新しい岡山が生まれる可能性があります。

 しかも、操車場跡地に、西部副都心が出来、スポーツ施設や病院なども、集積し、さらには、国の出先機関が入れば、岡山の都心の地図は、一新します。

 そういった場合には、規模だけで言えば、政令指定都市としての顔に相応しいものになるかもしれません。但し、既存の商店街はじめ、街の地図を一変するほどの重大な衝撃になります。


 現段階で、可能性は、あるともないとも言えませんが、政令指定都市を本気で議論するなら、さいたま新都心のような迫力は、必要であろうと思います。

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