2009年3月13日(金)【双六=振り出しに戻る】 | ||
今朝の山陽新聞に、私の名前も入って、「南区に移り出馬の意向」と書いてあったのですが、私自身が、これほど悩み抜いているのに、拍子抜けするほど反応が無く、これはもう、この景気状況で、いちいちご関心を頂けていない事に加えて、要するに、状況が分かり難いということなのかなぁ、と思います。
あるいは、これから事態が広がっていくのか・・・・。 なによりも、「こころ」も、量が多すぎて、上手くお伝えできないのだなぁ、甘えていたんだなぁ、と感じたりもしています。本人に聞くのもなんだし・・ということなのか、ただ激怒されているのか・・・。あるいは、唐突すぎて、説明が必要なのだと思いますし・・・・。 ともかく、私自身が整理がついていないのですから、どうしようもないところもあります。 それでも、原点回帰のためのパンフレットや幟という、ある意味、臨戦態勢に入る準備を進めながら、おだやかに、13日の金曜日が過ぎて行きます。 今日も、雨の中、餃子の王将に行ってしまい、有線?で、BGMに、馬場俊英の『世界中のアンサー』が流れてきました。 しみじみとしながら、ともあれ、後になってこうでした、と説明させて頂ける事を書き残させて頂きます。くどくどと書きますが、これ以上の説明は出来ません。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 本日、議会運営委員会で、4月の岡山市の政令指定都市移行を踏まえ、県議選の選挙区を4つの区ごとに分けるための条例改について議論されました。 現行の定数は、私の所属する岡山市1区・加賀郡が12人、旭川東部の岡山市2区が7人。仮に、この定数を変えず、4つの区に、人口比例で配分すると、北区が8人、中区が4人、東区が3人、南区が4人の定数となり、これが大前提です。 しかし、北区に住所(住民票)を持つ現職議員が10人おり、人口比例で考えられる定数より2人多く、逆に、南区は2人で、2人足りなかった上に、森先生が逝去され、南区は、現在、公明党の現職議員が1人という状況です。 法律上は、こうした場合、くじ引きで、補選があった場合の対応のために、当座、現職議員を選挙区に貼り付けます。具体的には、北区の10人について、2人が、選挙管理委員会が行うくじ引きで、南区に貼り付けられる、これが、原理原則です。 もっとも、この貼り付け自体は、実際の選挙でどこで立候補するかを拘束するものではありませんし、貼り付けられた区以外での政治活動を制限するものではありません。 具体的には、ここで南区に貼り付けられても、北区で立候補することも可能ですし、北区で政治活動を行うことが出来ます。 もっと言えば、県議会議員は、岡山県民なら、県内のどの選挙区からも出馬可能です。今回、住民票を基準にすること自体、異例の措置とも言えます。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 こういう状況の中で、各党各会派で議論が進められていましたが、結論から言えば、自民党は、住民票に従って(くじ引きを避けて、話し合いにより、住民票を移動させる結果として)「北区9南区3」で、他党は、人口比例に沿い、くじ引きを行って、「北区8で南区4」で、最終日に条例改正案を提出することになりました。 人口比例に沿わないことに、法律の言う「特段の事情」があるのかが、争点になりますが、こういう特殊事態の判例があるはずもなく、違法とは言えないという認識に自民党は立っています。 今朝の山陽新聞朝刊は、実に客観的に、このことを書いていますが、これだけでは、なんのことやらさっぱり分かりません。 個人的には、自民党以外の会派が言われることも筋はあると思いますし、それ以上に、自民党にも筋があると思っています。そして、岡山県民の皆様に、責任を果たすという一点においては、イレギュラーな形にはなりますが、自民党に恥ずべきところは一切ないと考えています。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 まずは、3つの予想外の前提がありました。 そもそも論ですが、2年前の統一地方選挙において、12人選挙区に、我が党の公認・推薦候補が、8人も出馬したことです。私は、過半数の7人を確実に取りに行く選挙をすべきで、自民党という組織論的に、8人目の意味が、全く理解できませんでした。 特に、私自身の選挙上は、極めて厳しく辛くもありましたが、バランス上、南区の新人候補は、落選させたくなかったのですが、結果として、6人の当選になったことを極めて残念に思っています。 組織としては、将来の区割りを見越した立候補者の配置を考えるべきでした。 さらに、これ自体は、もちろん、地域の方を責めるわけにはいかないのですが、たまたま、当初の区割りで示された北区に、修正案で加わった地域に、なんと4人の県議会議員がいたこと。 あくまで県議会の現職議員の配置という観点においてのみのことですが、配当定数と住民票のある議員が、いっぺんにアンバランスになりました。 そして、極めて残念なことに、県議会の中枢にあった森正人先生が逝去されたこと。南区に住民票がある現職自民党議員が、いなくなりました。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 こうした状況で、責任政党としての自民党が考えたこと。 暫定的にくじ引きという決め方で所属の区を決めることが、本当に県民の皆様の利益に資するのであろうか?と、いうことです。 例えば、全く、南区で出馬する可能性がない議員が貼り付けられた場合に、議員活動も政治活動も、南区で行わないとすれば、それはそれで無責任ではないか? くじで外れたから来ましたなどとは、南区に対して無礼千万です。 特に、森先生がおられない状況で、選挙の有無に関わりなく、南区に自民党の現職議員がいないという状況は、「責任政党」の取るべき態度ではありません。どうあれ、住民票を当座、移してでも、1人は、自民党議員を配置すべきである。これも当然だと思います。 敢えて言えば、南区は、衆議院議員選挙においては、岡山市第一選挙区と第二選挙区の両方を含んでいる極めて重要な地域です。 一方で、法律自体に情がないものであるのだから、「特段の事情」で、現職議員の現状通り、北区10人、南区2人(欠員1人)で、貼り付けを行うべきだという意見もありました。 しかし、逢沢県連会長、天野幹事長の強力なリーダーシップのもと、10−2案ではなく、あくまで、人口比例に即した8−4案を目指すことが確認されました。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 問題は、貼り付けのために、くじ引きをせずに、一時的にでも、転居をする、また、将来において、南区から出馬する意向の議員が、自民党内にいるかということでした。ある意味、あり得ない話し合いでした。 当然、強制ができるものではありません。 要は、基準がないわけですが、本人が希望すれば別ですが、期数が一番下で、得票数が一番低い議員が移動するという理由は、亡くなった森先生が重鎮であるだけに、成り立ちませんでした。 加えて、明らかに、地盤が、旧御津郡を含めた北区北部に集中している議員を南区に貼り付けることも、考えられませんでした。 選択肢は、自ずと限られています。もともと5人の中からですから。 一番の問題は、党所属の議員とはいえ、地方議員の場合は、特に、地域代表の色彩が強く、まして、こういう政治状況であれば、自民党だから云々という組織論が、有権者の皆様に通じるのか?ということです。 特に、投票して頂いた方が、自民党の組織論で議員が動くことについて、御納得頂けるかどうかを考えると、一議員個人の判断で貼り付けの問題が自由にできるような、白紙委任を頂いているわけでは、決してないないでしょう。 だいたい、私からして、自民党らしくないと言われると、誉め言葉と受け取り、どこかで喜んでいたりするのですから。 しかし、ある意味、政治判断であり、絶対に、承諾が頂けるものでもない究極の選択でもあります。一方で、自らが、組織における党の公認議員という立場を選んだからには、当然その責務を果たすべきです。組織は、良いことばかりではありませんが、属するということは、責任を負うということです。 この部分の詳細は、書けませんが、要は、白羽の矢が、私に立ったということです。 もしも、私が断れば、組織的には大混乱して、くじ引き以外無い状況でした。神様に委ねようとしましたが、その道が過酷な道になろうとも、誰も征けない道を自分が主体的に選んだんだと考えたなら、それもまた神の選んだ道です。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 しかし、これだけでは、問題は解決しません。8−4には、もう一人移す必要があります。あと1人をくじ引きでという妙な折衷案もありましたが、それなら、端から2人、原則通りに、くじ引きで良いではないかということで、それは、責任政党として、自民党以外で、お願いできないか?という話になりました。 例えば、公明党の現職議員しかいないわけですから、民主党でも、共産党でも、その方が、南区から出馬される移行かどうかにかかわりなく、1人移って頂ければ、くじ引きをせずとも、8−4になるということです。 これは、他党の考え方ですから、とやかく言うことではありません。普通は、他党にお願いできる内容ではありませんし、する必要もありません。 少なくとも、逢沢自民党県連会長から、「責任野党」として、津村民主党代表に、打診されましたが、自民党とは成り立ちも、考え方も違い、北区の民主系の3人の現職議員は、どなたも、移られることはありませんでした。南区には、2年間は、民主党現職県議会議員がいなくても、2年後に、新人議員を擁立されるからということで、組織としては、これもひとつの考え方でしょう。 一方で、民主県民クラブは、8−4にはしなくてはいけないということから、あくまで、法律通りのくじ引きを主張されました。法律通りなのですから、もちろん、間違いではありません。 ただ、くじ引きの結果について、受け入れられるならば、出馬を前提としない仮初めにであっても、1人貼り付けができないのかな?という気がしないでもありません。 ともあれ、あくまで、自民党的な理屈ではありますが、責任政党として、考えられる最大の政治判断をしたわけですが、これ以上に自民党の現職議員を南区に貼り付けることは不可能でした。 相手方を待っていましたが、本日まで動きがなかったため、やむを得ず、くじ引きを避けて、現状でなしえた9−3で、貼り付けをしようとなったわけです。 実際のところは、民主党としては、南区所属の現職県議会議員がおられないということにはなりますが、当初の思い通り、3人の現職議員が、北区に残っておられるのでしょうから、良いはずなのですが、通らないと分かっていながら、あるいは、通ったら、くじ引きになる(民主系が2人、南区に貼り付けの可能性もある)のに、9−3には、あくまで反対で、8−4を対案として出されるようです。 この点に関しては、自民党の党利党略と言われると非常に辛いです。10−2なら、そういう批判もあるかもしれませんが、これ以上出来ないことを自民党は組織として行ったわけですから。 私が浮かばれません。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ところで、この騒動が落ち着いてみると、なんのことはない、私だけが、南区へ移るということになっています。こういうことだったのかなぁ・・・。 このままの形なら、南区は、議員3人の区で、欠員が1人。公明党の議員と自民党の私という配置になります。当然、民主党と共産党の新人は必ず出てきますし、欠員1人は、自民党枠であるとすれば、保守系の新人も出てくると考えるべきです。 全く読めない不安は極めて大きいです。 もちろん、この9−3は、暫定措置です。どんなことがっあっても、まず、人口比例の8−4の定数になります。したがって、北区の現職議員は、必ず1人涙を呑むことになります。 ただ、事はこれで終わりません。議員定数削減の話が出るからです。北に行こうが、南に行こうが、どうあれ、岡山市選出の県議会議員には、厳しい未来が待ち構えています。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 長々と書いて参りました。 言うまでもなく、これは、自民党の佐藤真治としての議です。しかも、選挙を意識した話です。こういう理屈が通るとは思っていません。 だいたい、こういう長い説明が必要なことは、どこかに無理があるんだろうなぁと思います。 私は、まずは佐藤真治です。 もともと南区の多くは、選挙区ではありますが、中心市街地を含めて北区には、強烈な思いがないわけがないです。裏切り者と言われるんだろうか・・・。既に、泣いて電話を下さった方もおられます。泣きます。 まして、こういう形で行って、受け入れて貰えるのかどうかも全く分かりません。待ってくれる人がいてくれるのかどうかも分かりません。自民党内で、勝手に決めてるだけですから、誰も、喜んでくれないかもしれません。 だいたい、惜しまれたり、喜ばれたりする議員だと思うとしたら、間違いなく慢心です。所詮、佐藤真治じゃネーか。生まれたというより、湧いたのに。 ひとつはっきりしているのは、少なくとも、佐藤家は、明治時代から桶屋町(平和町)にいて、中心市街「血」という名の血が流れていること。骨を埋める覚悟では行きますが、檀家ですから、三門の妙林寺様の近くの山に骨は埋めたいです。 他のどの議員よりも、中心市街地をそこに暮らす人達を愛しています。 そもそも、地元のお役に立っているかどうか日々確信が持てなくなりますが、逆に、票が頂けるかどうかではなくて、中心市街地にはいたいですし、商店街や消防団から離れる気は全くないですし、保護司やPTAだって、ここで続けたい。子どもの学校だって、親の都合で、転校させたくありません。死守すべきものがあります。俺だって、人間だ。 それでも、南区には、同じ熱い思いをあるいは、これ以上の熱意持って行かなくては失礼です。だいたいが、南区の方から来てくれと頼まれたわけでもなんでもなく、勝手に来た奴が、思い切りアホでは、お互いに救われません。 一方で、北区の誰一人とも、さよならなどしたくないし、全く、する気もないです。さようならなど言いに行きません。なんでおるんなら?と言われても。 県議会議員ですから、岡山市全体や岡山県や日本や世界や・・・そういう規模で考えるべきなのです、きっと・・・。どっちつかずで、潰れるのかな??? ん〜、やっぱり、自分でも、事態がよく飲み込めていません・・・。何やってんのかも分かりません。やっぱり、おかしくなりそうです。 10年経って、双六で言えば、「振り出しに戻る」。秘書時代のように歩いて、またハンドマイクを持って幟を立てて、やっていくしかないです。他にやることはないです。 馬場俊英には助けられます。また『スタートライン』。何度目かしら・・・。 http://www.youtube.com/watch?v=TzovTd2vips&feature=related | ||
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