2005年1月16日(日) | ||
【岡山市の中心市街地で愛をさけぶ 2】 | ||
=======================================
昨夜の我が地区の燃える新年会の熱気も冷めぬままに、天満屋で開催されている藤原史暁先輩の作陶展(明日まで)にお邪魔させて頂いたり、中之町、上之町、桃太郎大通り界隈を歩きながら中心市街地の未来を思いました。 不安・・・。 ======================================= ↓ 詳しくは 私は、このままでは、これから100年かけて人口が半分になる我が国において、どれだけ人間の生活圏域を拡大できるのかということは真剣に考えないといけないと思います。 もちろん、規制緩和の時代に逆行しますが、その地域に合ったアクセルとブレーキがあると思います。 特に、平地の続く岡山の地域特性として、再開発よりは、広げる方が楽です。いわば際限はありません。何より最も農地の多い岡山ですから、農地を潰せば、いくらでも拡大の余地があります。 そして、それを追っかけるようにインフラの整備が必要になり、これもまた際限がありません。しかも、耐用年数は、あちこちで尽きてきますから、広げれば広げた分だけ、維持費がかかってきます。 どこに行っても、同じような都市インフラが享受でき、ある意味画一的な、ある意味同等の行政サービスを求められれば、岡山の場合は、地勢学上、無限地獄に落ちる可能性があります。 私は、自然と名がつけば何でも保護すべきであるという偏狭なエコロジストではありませんが、持続可能な街づくりを考えた時に、あるいは、食糧自給率、さらにはエネルギー自給率が、とことん低い我が国の未来を見据えた時に、右肩上がりの経済成長を前提にし、あくまで開発を続けて、本当に持つのだろうか、不安で仕方ありません。 果たして目先財源があるからと、将来に借金になることが分かっていながら、市域を拡大することに、大いなる不安も感じます。 その不安は、経済的なものだけではありません。それは、ひとつには、新しい街を作る、すなわち、新しい地域コミュニティーを創るという大冒険ですが、地域の歴史や文化や伝統などは、一朝一夕にできるものではありません。 何より、様々な「思い出」の上にあるのが地域であり、その地域DNAの継承をするから、街の個性が生まれ、街への愛情や誇りが生まれるのです。 もっと言えば、地域に氏子があり、地域で祭りがあり、だから、その地域であり、日本なのです。 中心市街地は、まさに祭り事、政の中心でもあります。思い出の連続する場所でもあります。街が続いていく心臓部でもあります。 決してないがしろにしてはいけない場所です。 今、市域を拡大しても、郊外の核をきちんと定める必要があると思います。開発が続いても、全体のパイが増えていない人口減ですから、いわばゼロサムゲーム。もっと言えば、外部資本に食われて、草刈り場にされておしまいになりかねません。 街がどうあるべきであるとか、人間はどう暮らすべきであるとか、どう街を維持していくのかなどトータルで考えることなどは、外部には責任も関係もありません。文字通り、あとは野となれ山となれと考えても、責められるものではありません。 街のグランドデザインや機能分担を示さず、いけいけドンドンでも、金が動けばいいじゃないか、という考え方もあるでしょう。目先それで良いのでしょう。 ただ、困るのは、大風呂敷を広げられた後処理をしなくてはいけない我々の子ども達です。 あるいは、大きな傷痕を残された地域です。 どこまでやるんですか?それは、決めないといけないことです。 あるいは、いつか、旧中心市街地と呼ばれる時期が来るかもしれない地域で、高層マンションは、スラム化した街を眼下に見下ろし、観光客は昼に通り抜けるけれども、地域住民は、買物は郊外へ車で出掛けて、夜は恐くて外を歩けない、何よりも、避難したり、子供を遊ばせる空地も緑もない・・・・・まさに、ゴーストタウンが生まれてしまうのではないか・・・・。 しかも、そこには、建物の共同管理はあっても、地域コミュニティーは存在しないかもしれないのです。地域に責任を負わないし、逆に地域に、頼ることもできないのです。 私は、一般論として再開発マンションには反対ではありませんが、マンションを高層にすればするほど、それに比する空地と緑が必要だと思います。 さらに、地域に暮らすには、絶対にコミュニティーが必要です。あるいは、その核には、学校があるのかもしれませんが、どういう形であれ、地域コミュニティーを形成する装置がどうしても必要なのです。 さもなくば大きな街で、大きな孤独を抱えることになります。 なんとなれば、会社もない、家族もない、そんな時がやってきたら、助けになるのは、街、そして、そこに暮らす人のネットワーク以外に救いがないからです。終の棲家にありながら、最期に、町内会の葬式の手伝いもないということが普通に起こりうるのです。 中心市街地に、再開発マンションが増えることは歓迎ですが、総合的な街のデザインの中における位置づけも必要だと思います。 そうでないと、都心に回帰してくださった方に大きな不安を与えることになります。 私が望むのは、コンパクトな街です。中心市街地に人は暮らし、ちょっと郊外に出れば、田園風景が広がり、さらに出れば森が広がる。もちろん、中心部は、高層ビルが建ち並べば良いと思います。 そういったコンパクトな街を公共交通機関、道路網が結ぶ。理想は、今もありますが、米から、パンはもちろん、田畑から、エネルギーができることです。 また、中心市街地にも、高層住宅の分だけ、緑がある街を望みます。あるいは、何も作らない勇気も必要だと思います。 例えば、県立図書館が更地だった時に感じた開放感を思うと、操車場跡地が、市民が一本一本木を植えて100年がかりで作った森であっても、それはそれで良かったようにも思います。 「岡山市の中心市街地で愛をさけぶ 3」に続く。 | ||
Copyright (c) 2005 SHINJI SATO Inc. All rights reserved.satoshin.jp |