2004年1月16日(金) 【鶴見橋のあたり】 | ||
今朝、地元の中学校を訪ね、特に、障害児学級を覗かさせて頂きました。
特に気になっているのが、情緒障害のある生徒達が、今後増加する傾向にあることに対する対応策です。さらに、普通学級で様々な障害がある生徒が授業を受けたり、養護学校ではなく、地元の学校への通学を希望する生徒や保護者も、増加してくるという流れです。 総論的には、もちろん良いことであると受けとめられても、現場サイドの負担は、相当にきつく、この点、行政からのフォローあるいは、地域の方々の支援が、不可欠です。 さて、修学旅行の文集で、私の文章のタイトル、「河童橋のあたり」。 「別になにも河童橋が、物凄い橋だとは思わないが、存在している場所が場所だけに、新京橋より得をしている部分はあると思う。」で始まるふざけた文章ですが、上高地の河童橋より、本来は、得をしているはずなのに、と思えるのが、鶴見橋です。 一昨日の夜、後楽園の玄関口である出石町で、自動車と自転車の間を観光客が歩くという、デンジャラスにして、ワンダーな鶴見橋に、やっと、自転車道・歩道がつく工事が進む中での地元説明会がありました。 その後、看板建築の公会堂で、町内の方と、惣菜屋さんの天ぷらで、一杯やっていると、いったい県は、なにより、県議会議員は、後楽園というものについて、なんと考えているのか、という話になりました。 いちいちごもっともであります。 なんでも、後楽園に大本営ができるとかいう話で、急遽できたのが、今の鶴見橋で、現在の基準で言えば、京橋同様、あの高さの橋は、架けられません。 逆に言えば、橋の架け替えそのものは、無理と言っても良いかもしれません。ゆえに、新京橋であり、新鶴見橋があるわけですが、それにしても、欄干といい、灯篭といい、何より、北には金山、東には、操山、下を流れるのは、伊勢土産「赤福」の模様で、お馴染みの伊勢神宮内宮の五十鈴川(実は、指型やんけ)にも、負けず劣らずの日本一美しい川・旭川・・・・・。 これだけの風景は、日本にそうそうないと思います。 日本三代名園の兼六園や偕楽園が、後楽園に比べてなんぼのもんですか。日本三景の宮島や天橋立や松島が、鷲羽山より美しいでしょうか。 岡山は、「ええとこじゃ」。 あ〜それなのに、それなのに。前知事県政の一番の失政と言われるのが、鶴見橋なら、既定重量オーバーもありうるのですが、後楽園の真横に、観光バス駐車場をつくったこと。観光客は、出石町をバスで素通り。 鶴見橋は、ひどく危険で、「門前町」である出石町は、時折、街づくりの声が出ても、いつのまにか、看板建築もくすみがち。 もしも、これが、他所の観光地なら、どうでしょう。 天下の名園特別名勝「後楽園」に行く道すがら、「ままかり」「祭り寿司」「さわら」「きびだんご」「大手饅頭」さらには、「野村のカツ丼」(←?)のどれかを食べ、備前焼のひとつもひねり、手には、しっかりと、「桃太郎」のグッズを土産に持っているはずです。 出石町界隈は、土産物屋だらけで普通です。だいたい、観光物産センターは、なんで、シンフォニービルの中にあるのか?観光案内所は、普通なら、出石町界隈にあるでしょう。 そもそも、観光客は、どこで飯を食べられるのでしょう。 普通なら、観光バスからは、2時間後に集合で、皆放り出され、土産物屋や飲食店は、キックバックで儲かっているでしょう。 香港で、シルクの店や貴金属店、あげく漢方薬の店に行くのも、韓国に行けば、最後は必ずキムチの店に行って、散財するのも平気なのが、観光なのですから、なんで、後楽園で、1時間で済ませて貰って平気なのでしょうか、我々は。 皆、小遣いを持って、金を使いたいから来ているのです。 肥沃な土地ではないからこそ、そばで有名になったという、「出石町」を見習うべきですが、岡山の場合は、観光客に気持ちよく金を使ってもらうという、ハングリーさに裏打ちされた良い意味での「商人根性」が、欠けているのではないでしょうか。 私は、県が、最初の大規模事業の見直しで「出石町再開発」を白紙撤回したのは明らかな間違いだと思います。 県立図書館や日銀跡地同様のウエートを出石町にかけるべきだと思います。 特に、岡山城は、市で、後楽園は、県ですということですが、後楽園・城下のあたりは、一体的に管理するべきではないでしょうか。 築庭300年、築城400年の時も、妙に、ちぐはぐでした。 返す返すも、農政局跡地あたりに、観光バスターミナルを作ることができなかったのか、私が議員になる前からの流れでありましたが、非常に残念でした。 平成17年岡山国体の年、主会場へのアクセスのバリアフリー化も大切ですが、後楽園への導線を再度見直すべきではないか、後楽園を鶴見橋界隈をいかようにしていくのか、改めて、議場で問題提議させて頂こうと思います。 【お詫びおよび訂正】 『その1439【鶴見橋のあたり】 』の中の記述、『前知事県政の一番の失政と言われるのが、鶴見橋なら、既定重量オーバーもありうるのですが、後楽園の真横に、観光バス駐車場をつくったこと。観光客は、出石町をバスで素通り。』について、大きな事実誤認がありました。 いわゆる後楽園東駐車場が整備されたのは、昭和37年から昭和41年にかけて。つまり、計画自体は、故三木知事の時代のものです。 高度経済成長に乗った観光ブームの中で、団体バス、自家用自動車が急激に増えた事に対応したものということです。 前知事は、それを失政としたもので、ご本人に、責はありません。 心からお詫び申し上げますとともに、謹んで、訂正させて頂きます。誠に申し訳ありません。 | ||
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