2002年8月20日(火) | ||
【持続可能な街づくりのために】 | ||
岡山市のいわゆる1kmスクエアに隣接した地域を歩くと、歯抜けした土地、空き家、一人暮らしのお年寄り、あるいは高齢者だけの世帯の多さに愕然とします。「介護中で、出られません」「病気で寝ているので、ごめなさい」、インターホン越しに、そういう答えが帰ってくるケースが、非常に多いのです。
個人商店も、そういった地域の方に支えられているのが現状で、学校よりも、病院や郵便局などを中心に、コミュニティーが成立しているのを痛切に感じます。 治安、防災の面では、地域が地域を守ることができないような危機的な状況にあります。 そして、30年近く前にできた郊外の「新興」住宅地も、高齢化が進んでいます。おそらく、その子どもの世代は、今、コーポやアパートに暮らし、次の段階を迎えようとしています。 そこで、さらに次世代も郊外に出るか、それとも、再び、都心に戻るか、要するに、分岐点なのです。 土地の安い郊外への進出のための施策を行政は、推進していたと思いますが、ロードサイドビジネスの興隆が、都心部の空洞化と裏腹であること、結果的に、少子高齢化の中で、郊外に郊外に広域に広がれば広がるほど、それを支えきられなくなることは、自明です。 食料自給率低下、自然破壊を伴いながら、郊外というものがなくなることに、長期的には、どれだけの無理が出てくるでしょう。 今必要なのは、税制を中心とした都心回帰のための抜本的な施策・発想の方向転換ではないでしょうか。どこも便利になることは理想ですが、全体としての街は、持続不能です。 日本は、「進出」するか、移民を認めない限り、国内の人口は減少、経済活動は縮小するしかない国なのですから、日本国内、地域内で、拡大するのが時代の流れですとは、悲しいかな、もはや言えません。それが、少子化ということです。 全てをコンパクトに、小さくとも、自然と共生しながら、世界できらりと光る国にしよう、あるいは、そういう街にしよう、しかし、国民や住民は、世界のどこにも負けないほど優れていて、人材は、世界に幾らでも輩出するぞ、そういう方向なのかなと、思うのですが。 ところで、岡山市が、政令指定都市になった場合、あるいは、地方交付税で補填される合併特例債の発行をむしろ、旧玉野市・灘崎町に譲り、旧岡山市は、政令指定都市になったことによる果実そのものに期待する、ということもあろうかと思います。 この合併特例債により、合併市町村が、単独では無理であった公共事業を行えることが、飴になっているわけですが、問題は、整備後のランニングコストです。行政の計算には、往々にしてそれが冷静に含まれていない皮算用があるのが気になります。 この部分は、クリアにしないといけません。 それにしても、私達が、30年後、水戸黄門をゆっくり見ようと思っても、行政は当てにならんだろうな、と感じるとやりきれないです。 所詮、人生はゼロサムゲーム。平和な高度成長期の恩恵を受けてきた世代のツケは、これから、しっかりとお返ししていかないといけないのでしょうか。 とはいうものの、社会の中堅どころの負担・不安は重過ぎるものです。 | ||
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