2002年1月20日(日) 【中心市街地で】 | ||
明日夜の○○地区の新年会をもって、いわゆる「地域」の新年会「シリーズ」が終わります。昨年の忘年会、年末夜警、元旦の泥酔以来、連日連夜のようでしたが、本当にありがたいと感謝させていただくと同時に、少しほっとしています。実に、よく飲み、かつ歌いました。
もちろん、会合は、続きますし、いずれ、花見、総会、盆踊り、秋祭り、シリーズと名を変えるだけなのですが、明日がひとくぎりです。 おそらく、来年4月の選挙を控えて、今年度末から来年にかけては、この比ではないと思いますし、そうであってもいけません。また、逢沢代議士や市長、片山大臣の動きに比べれば、私が、疲れたなどと言うのは、一万年早いと思います。多分会合の数自体が、一桁違うでしょう。 ただ、中心市街地にとって、小学校の統合があった、まさに激動の一年。○○、○○、○○、○○、さらに○○に加えて、○○の、全学区(地区)を回る唯一の議員である私にとっては、昨年より一層厳しいものがあったのは、事実です。 多分、それは、私自身が、議員として解決すべき問題で、同情や共感を求めるものではありませんが。 そして、しかし、おべんちゃらではなく、やはり、この街が、もっと好きになりました。いろいろな立場、いろいろなご意見がありますが、出会う方、どなたもが、真剣に、この街のことを考えておられます。 気も使うですが、世代を超えて、少しほろ酔い加減で、街のお話を伺う時、私は、非常に幸せだなぁ、と思います。 多分、このメールを読んで頂く誰よりも、私は、この岡山の中心部の熱い方達を知っているのではないか、あるいは、知る可能性があるのではないか、と自負しています。本当に熱い方がおられるのです。 自分もこの街に暮らす人間のひとりとして、そこに息づく方の暮らしを少しでも垣間見ることができる、その思いを少しでも共感することができる。なんと素晴らしいことでしょう。 そして、議員として、それを行政に反映させる可能性、チャンスを頂いています。重い責任ですが、僥倖でもあります。自分の「意味」を感じます。 ところで、こういう中で、もやっと感じる雰囲気というのがあります。地域の中心的な人が少しづつ変わっていく中で、あるいは、既存の地域コミュニティと、ちょっとずれた部分で、新しい層が流入しているのではないか。 やはり、間違いなく、時代は、動いているということです。 一歩地域に入れば、全て人間関係ですから、こうした場に書けない事もたくさんあります。ただ、時代の趨勢として、担保価値の下がった土地が、居住用の部分を伴った再開発ビルに変わっていく、ということは、容易に想像できることであり、おそらく、早晩、空洞化、人口減は、緩やかに反転すると、私は、確信しています。 いずれ街に、もっと人が、しかも、新しい人が、戻ってきます。 今の10代、20代は、郊外志向が、極めて薄いと思われませんか?また、私は、お年寄りこそ、街に住むべきである、と考えています。定期借地権という手もありますが、いくらでも移り変われる街中の賃貸でも良いのです。 なにも家に庭がなくても、週末は、プレジャーボートで海に出る、そんなライフスタイルもあるでしょう。非常に嗜好が、多様化しています。 もともと、コンパクト・シティ、サスティナブル・シティという観点からは、これ以上、漫然と市街地を拡大することに、私は、否定的です。 また、そもそも、家賃、駐車場、相続税、固定資産税、容積率、教育環境、医療施設、治安、根本的にクリアしなくてはいけないものは、極めて政策的なもので動かせるものです。 また、後楽園周辺(鶴見橋を含む)、文化ゾーン(旧日銀跡地)が、このままで良いのか、表町地下駐車場問題、路面電車環状化問題など、直近の課題もあるわけですが、こうして考えると、総合的に、地域の声を主体として、中心市街地を考える場は、どうしても必要ですね。 ひとりで、7号で中止中の機関紙「What’s New」をやっているようですが、あの幻のまちづくり団体「おかやま未来フォーラム」を復活させようかな? 気がつけば、皆、非常におもしろい年代になってきました。かなりの人材がゴロゴロおられますよ、この街には。 | ||
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