2001年9月2日(日) 【小学校統廃合問題】 | ||
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話がらりと変わりまして、中心市街地の小学校の統廃合につき、再び動きがあります。 今春より、深柢小学校と内山下小学校が合併して、中央南小学校に、南方と弘西が合併して中央北小学校に。来年度には、出石小学校が、廃校になりますのは、ご案内の通り。 基本的には、岡山市教育委員会の考えとして、平成17年度に、さらに、中央南と中央北が合併して1校に、という流れです。ただ、これは、100%のコンセンサスは、とれていません。ひとつの方針にすぎないという見方もあります。 つまり、地域によっては、中央南と中央北が、現在のままの形で、残れば良い、さらに合併する必要なし、という考えが根強くあります。ただし、PTAは、一刻も早く統合して欲しいというのが本音だと思います。 ちなみに、子ども達の中には、在学中に、3回学校を「変わる」生徒も出てきます。 私は、代々が、深柢に暮らしており、父や弟は、深柢を出ていますが、生家は、野田屋町ですから南方。内山下・表町商店街から推薦も頂戴し、弘西でもかわいがって頂いております。 地元は、旧学区で言えば、深柢ですが、出石を含めて、新年会は、関係5地区とも、お声掛け頂ける、称して中心市街地の議員です。 この問題は、いつも念頭にある極めて大きな課題です。 ところで、一連の統廃合問題について、中心市街地に、市議会議員がいないこともあり、岡山「市」教育委員会は、各地区、各団体に個別に議論し、いたずらに地域に混乱を招き、もはや収集がつかない状態になったまま、事が進んでいます。 実は、ここに来て、平成17年に統合される流れの旧弘西小学校について、新校舎に建替えという了解事項が、反故にされる可能性が出てきました。 すなわち、結果として、なんのことはない旧弘西小学校に、中心部の4校が吸収されるだけのことになるかもしれないのです。 そんなにもめるのなら、仮に統合しても、校舎の建替えはないですよ。陽動戦術、いわゆる「鞭」の施策かもしれませんが、またも、教育委員会の回りくどい、いわば「おどし」にもとれます。 もっとも、根本的な理由は、財政難に尽きるかもしれません。 私は、統合する「ご褒美」に、当然建替えるべきだ、と言う気はありません。しかし、4倍の生徒が帰って来る旧校舎を再利用するにあたり、耐震構造にするには、新築並みにお金がかかるのです。 なにより、統合に向けて語られていた「アメ」の部分、新設校への「夢」の部分が、旧校舎への思い出を共有できない方達には、ただの「餌」になってしまいます。しぶしぶ合意された方にとっては、裏切りと言えなくもないでしょう。 もっとも、おそらく、パブリックコメントという形で、アンケートをとれば、郊外の方は、かなり厳しい判断をされるであろうことは、想像に難くありません。 しかし、地域を愛するがゆえの衝突や葛藤は、なかなか他地域の方には、ご理解頂けないだろうということも、否めません。 いずれにせよ、今しなくてはいけないことは、中心部の小学校に関する意見をともかく一本化することです。かたや、新校舎で早く統合を、かたや、統合そのものが必要ない、では、前に進みようがありません。 しかし、忘れてはいけないことは、誰もが、意見は異なっても、それぞれの地域を本当に愛されているということです。本当に誰もがです。だからこそ、お一人お一人の大切な思い出まで含めた感情的な部分を踏みにじってきた教育委員会の手法を、私は、決して許せませんし、許しません。 また、それが誰であれ、この件で動かれた方への批判も許しません。誰もが、本気で、地域を愛して、されていること、されてきたこと、なのです。 ただ、大切なことは、結局最後は、今の大人の意見ではないということです。今の子ども達が、なにより、未来の子ども達が、誇りを持って、喜んで楽しんで行ける学校を作ってやることです。今の私達が、何を子ども達に残してやれるか、本当に子ども達にとって、幸せな形はなにか、それが、基準です。 そのために、どうしてもここで、徹底的な議論が必要になります。 多くの方が、大切なものを壊してまで、栄えある歴史や伝統に恥じないような、素晴らしいものを未来の子ども達に譲り渡すことになります。 せめて心を伝えること。 なくなることで生まれることがある、決して消えないものがある。切ないことですが、それが連綿と続いてきた生命の鎖かもしれません。 昨日から、友紀が支えがあれば立てるようになりました。いったい子どもは、どれだけの力を与えてくれるのでしょう。実は、おそらく友紀が行くことになる学校の話なのです。 政治は、世界中の未来の友紀達のためにあります。順送りです。 | ||
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