2000年12月27日(火) 【県・市のはざ間で】

 忘年会や夜警に行くと、その289の事業評価委員会の意見を受けた県の方針の話の中で、特に後楽園周辺整備の白紙撤回に疑問の声が上がっています。
 岡山の顔、せっかく築庭300年で関心が向いたのに、他のバブル期に計画された公共事業と性質が全く違うのではないか、と。なんで、県はやめてしまうというのか、と。


 そもそも民間の数名の代表から構成される事業評価委員会の意見が、県の施策として決定したかのような表現になる法的根拠(すなわち、どこに民主的コントロールが、かかっているのか。)が、私には皆目不明です。

 いわば、行政側(検察側)の論告求刑のようなもので、議論はここからです。無罪かもしれないし、執行猶予もつくかもしれないし、何も決まっていません。
 少なくとも、県民の代表たる議員に対して、全く説明がありません。報告だけです。執行部が、民意を聞いたとして、こういうスタイルをとって執行するなら、まさに独裁政治の手法です。まるで、決まったかのような報道ぶりです。

 なぜ、議員がいつも、こんな形で執行部の方針を聞かされるのでしょうか。市町村の意見は、いったいどういう形で反映されたのでしょうか?
 議員や市町村の議論させると、収拾がつかないから?議員は、なんなら?

 財政再建は、県の重要課題です。答はこれでいいとして、手法がまずいというのです。どこに正当な手続きで選ばれた民意の代表者による民意を反映した民主的な議論があったと言えるのでしょうか。
 民主主義の下、選挙無くして代表権はありません。
 もちろん、委員の方、個々の悪口を書いているわけではありません。行政手法を問題にしているのです。

 これは、そもそも論です。


 個人的には、後楽園周辺整備について、それをたとえ、中心市街地活性化のための岡山市の施策だから、県は撤回するのだ、と説明されても納得できません。後楽園は、県管理ではないですか。
 岡山市となぜうまく組んでやらないのか、私は、一般質問で、過去に問題にしたことです。

 実は、今回、岡山市内のある商店街をイメージして取り組もうとした新規事業予算が、ゼロ査定で返ってきました。理解に苦しみます。要するに市がやれということでしょうか。

 県都岡山市と岡山県の関係は、本当に良好なのでしょうか?うまく連携できているでしょうか。

 倉敷市の中核市化で、195万県民の半数以上の保険福祉行政は、いわば県の手を離れます。岡山市民、倉敷市民にとって、ますます県は遠いものになります。多くの方に、県はピンとこないと思います。

 その中で、岡山市と岡山県をいかにジョイントさせるか、様々な形での仲介役としての岡山市選出の県議会議員の役目が、極めて重要です。
 新世紀の大きな課題として、岡山市から見た、岡山県について考えていきたく思います。そういった観点からのご意見を是非お知らせ下さい。

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