2001年11月30日(金) 【LOOK!! WEST】 | ||
上海から帰岡しました。それにしても、時差1時間とはいえ、なんたる近さ。ついさっきまで、上海にいたのに、なんで今岡山にいるんだろう?そんな感じです。地方空港からの直行便の利便性を実感します。
毎日配信させて頂いている方には、別便(696以降)で、なにを観て、なぜ、そのように思うのか、詳細にお伝えさせて頂きますが、本編の内容につき、ともあれ、12月議会の一般質問の一項目にすることにしました。県議会議員の仕事として、大切なのは、岡山県にとってどうなのか、という話ですから。 多少、日経新聞の記事の寄せ集めのような文章になりますが、訪中して、さらに、時代認識として、非常に納得できましたので、長々と論じさせて頂きます。 中国一般論・総論になりますが、上海については後日改めて。 【LOOK!! WEST】 日本企業が、生き残りをかけて工場を中国に移し続け、中国からモノが大量に流れ込む反面、ヒトやカネは、中国に向かいます。急速かつ摩擦も大きいのですが、世界同時不況の懸念が広がる中、経済大国日本は、巨大化する中国とも向き合わなければいけません。 私は、与しませんが、中国は、脅威ではない、という意見もあります。まず、資本財を中心に、中国への輸出も増えている(7〜9月期の日本の輸出総額は8.7%減だが、対中国は5.4%増)、輸入で収益を上げている企業も多い、日本の消費者が安い輸入品の増加で大きな恩恵を受けているなど、日本にプラスの面も多い、というのが、その理由です。 また、中国の製造業の競争力がより広範な分野で強まっていくと元レートの上昇圧力が強まり、レートが上昇すると、中国の労働力コストは上昇し、労働集約的な産業は競争力を失うので、現在の成長は、持続可能ではないという意見もあります。 そもそも、世界人口の5分の1、13億人を擁する中国。企業にとって最大の魅力は、比較的良質で安く豊富な労働力と、成長力を秘めた巨大な消費市場にあります。いわば、生産基地と市場両方の魅力を中国は兼ね備えています。 ご案内の通り、先日のWTO(世界貿易機構)加盟承認により、国際的な通商ルールが通用するようになり、投資や貿易の障壁も減り、世界の企業の投資は、中国に向かい、産業、貿易地図は、大きく塗り変わる可能性が高く、中国は、WTO加盟10年で、日独をしのぐ世界第2位の貿易大国になるとも言われています。 ちなみに、WTO加盟については、貿易の利益の享受、直接投資の受け入れ増大、さらに構造改革を通して、長期的には、メリットであり、短期的なデメリットも、同時進行の「西部大開発(発展の遅れた内陸部の開発)と2008年オリンピック開催」という、2大プロジェクトによって克服可能ということです。 また、中国のWTO加盟以後は、最大の受益国は、未加盟の中国にも差別的関税を設けていなかったため、見返りの関税下げを強いられる品目がなく、中国の輸入総額で最大のシェアを占める日本であると世界銀行は予測しています。 いずれにせよ、アジア諸国の中で、中国の経済成長は群を抜いており、貿易総額は世界のベストテンに入り、外貨準備額も1656億ドル(2000年末)と日本に次いで、世界第2位となっています。 途中、経済成長率が鈍化したり調整する局面に入ったりすることはあっても、今世紀半ば頃までは、中国経済の成長は、かっての日本がそうであったように、政治的なリスクを除けば、安泰と観て良いのではないかと思われます。 加えて、援軍には、中国から移住した約3000万人の華僑(中国国籍を保持)、華人(移住先国籍)がおり、台湾、香港を含めると約6000万人の勢力になると言われています。 海外から中国への昨年の直接投資額(実際利用額)は、407億ドルですが、実は、50%以上は、華商によるもので、国・地域別に見ても、香港、マカオ、台湾、シンガポールからの投資だけで、海外からの投資総額の半分を占めるそうです。 また、米国など外国に留学し、博士号を取得した人材が多数帰国し、世界から進出してきた有力企業や地元の大学などの研究の場で頭脳集積を進めつつあります。 朱首相が、これからの中国の発展に必要なものとして「現代的な管理手法、先進技術、人材」の3つを上げたそうですが、中国の人材、ネットワークは、日本の比ではありません。 さて、日本の製造業の中国進出は、1980年代の日本への加工輸入を狙った「持ち帰り方」から、90年代には中国市場での国内販売型に主流が移りました。しかし、いわゆる「ユニクロ・ショック」によって再び日本への加工輸入を前提とした生産拠点の進出が急増しています。 特に、今回は、日本国内はもちろん、他のアジア諸国にあった拠点を再編し、中国に集約するような生産体制のシフトが目立っています。このまま、対中シフトが加速すれば、日本国内でも地方を中心に、雇用機会が奪われかねないという懸念があります。 また、日中経済関係は、90年代は、米ーメキシコ関係に近い相互利益の形を概ね維持してきましたが、問題は、現在起きている中国への生産拠点シフトが、従来の組み立てプロセスから電子部品、金型、鋳物、ソフトウエアでの「根こそぎ型移転」になり兼ねない点です。 1980年代に、繊維産業から始まった中国への工場大移動は、精密機械、電機と続き、自動車にまで及びます。家電、造船、二輪車の三業種でまず中国は、日本に追いつき、5年後に鉄鋼、化学など素材、20年後には、自動車を含め、ほぼ全ての産業分野で日本と競合すると言われます。 世界市場に乗り出した造船、家電が素材産業を育て、素材の品質向上が、自動車など付加価値の高い産業の国際競争力を高めるという、かって日本や、韓国が歩んだ道を中国は、たどり始めました。 換言すれば、生産シフトを進めながら、中国における日本企業のプレゼンスは逆に低下しつつあります。テレビ、冷蔵庫などの中国の家電市場で高いシェアを持っていた日本企業は、中国企業に押されてシェアを落とし、高級品などのニッチ(すきま)市場に追いやられつつあります。 中国と日本の地理的・文化的近さを考えれば、製造業を中心に国境の障壁が小さくなり、両国で集積と過疎化が並行して進む動きが出てくるのは自然なことです。しかし、中国へのあまりに急な生産シフトは、かえって日本企業の競争力を弱める恐れがあります。 まさに、今、中国産業の力と課題を冷静にはかりにかけた上での日中間の生産体制の戦略的な再構築が必要です。特に、日本企業にとっては、総合的な対中戦略が不可欠です。日本の産業界は、生産拠点の中国への移転による国内空洞化だけではなく、対中戦略そのものの空洞化という、より深刻な問題を抱えています。 例えば、製造プロセスや製造技術の高度化を推進するマザー工場や付加価値の高い基幹部品の開発・生産などは、日本に残すべき代表的部分であり、世界の企業や人材が集積しやすい魅力ある国造り、街づくり、ルール造りを日本が進めることで、日本と中国、他のアジア諸国の間でそれぞれが産み出す付加価値を一段と明確化し、分担していくことが求めらます。 米やスイスの企業の中には、中国市場でトップシェアになる明確な目標を掲げ、相次ぐ国有企業の買収で生産能力と販路の獲得に要する時間を短縮し、プレゼンスを確立した企業がありますが、世界最大のものづくり拠点・中国で、主力工場を運営できる経営力があるか、中国発のデフレが世界を覆う中、価格を維持できるブランド力を持つか。 中国の台頭に耐えうる企業だけが、勝ち組として生き残る。ということです。 今は、消極的に中国を脅威と捉えるのではなく、むしろ積極的に市場、生産拠点と部品調達先として中国を「活用」する、日中が、ともに利益を得る新たな「日中製造業の共存共栄」モデルを構築することが肝要であると思います。 そこで、政治は、なにをするか、です。 残念ながら、とりわけ中国との関係で、情緒的なことを除き、日本の国民にとって日本がどういう状況になっているのかの説明を政治家から、あまり聞きません。 中国などからの輸入の急増で、日本は、2004年には、貿易赤字に陥る可能性があるとまで言われ、日本の産業・金融界からは、中国ショックを和らげようと人民元切り下げを要求する声が日増しに高まっています。 対中投資の自制を日本企業に求めるべきだという極論もある中で、経済産業省は、近くプロジェクトチームを発足させるとのことですが・・・。 中国とどう共存するかは、21世紀の日本の国の興亡を賭けた一大テーマです。自国内の構造改革が進まないなどと言っている時間はありません。 小泉総理は、北京への訪問で、公式参拝の件を見事にカバーされ、さらに得点を稼ぎましたが、今後、靖国神社参拝や戦後処理の問題、政府開発援助(ODA)などをめぐって日本国内にある反中国感情と結びつけば、日中関係は一段と複雑になります。 ここでも答はひとつ。共存共栄以外ありません。 ところで、岡山県がどうなのかという話なのですが、上海編で、後述できればと思いますが、要するに、「上海とオカヤマ」という関係はないと思います。すなわち、岡山県という行政単位は、中国とりわけ上海市を相手にするのに、不適切な規模だと思うのです。 後述しますが、おそらく中国地方という規模、その地方の企業群で、たとえば、工業団地に進出するという話にしないと、日本で無理な連携は、中国でも無理かもしれません。 そのためにも、現地に事務所を出しているような地域間の、日本と現地と、両方のネットワーク(特に人的ネットワーク)が、重要です。端的には、岡山上海事務所のさらなる強化が必要です。 東京事務所とは、意味合いが違います。まさに、世界への窓口です。 加えて、週3便(火・金に加えて、日になる方向)に増便される岡山ー上海便の有効利用として、やはり、これをもって、例えば、観光旅行や、ある程度のお年になられた役員さんの研修ではなく、大量に青年を派遣、交流させる施策が必要だと思います。 特に、新入社員に現地工場を見学させることで、非常に大きな学習効果があります。交流というより、先進地での研修です。どんな連中と国際舞台で戦うのか、見ておく必要があります。 今回の視察で、はっきりしていることは、3つでした。 ひとつは、3泊4日で、しかも、上海に行っただけでは、中国はわからないということ。(行きまくりたい、という気分になってしまっています。) ひとつは、郡部はいざ知らず、中国を後進国と見たら、とんでもない間違いのようである(岡山にとっては、完全な超先進国)ということ。そして、中国にとって、日本は、世界の中のワンオブゼムの国でしかない、ということを厳粛に受け止める必要があるということ。 端的に言えば、事実上は、既に追い抜かれているか、早晩追い抜かれます。中国の歴史でいえば、100年は、早晩でしょう。 ひとつは、あるいは、世界中のどこよりも、日本の青年が、青年として不幸であること。根本的に、発想を変えない限り、将来的に、日本は、様々な面で、世界で最も貧しい国になる可能性があると思います。 少なくとも日本の若者にない「未来」を上海の若者には感じます。 工場を見学しながら、ストリート・ミュージシャンやそこに集う若者の姿を思いました。日本の若者たちに、何をしてやれるでしょう?彼らにどうしろと言ってやれば良いのか・・・・。彼らには、時代の神様の後ろ姿が、霞んで見えるかもしれません。 東ばかり見ていて、ふと近所の西を見て、俯瞰したら、日本は、終わっていく国にしか見えませんでした。 世界中から物笑いの種にされるような国になっている気すらします。ここからどうこの国を立ち上げるのか? 政治の役目が、今ほど重要な時代はありません。 飛行機で、僅か2時間。その繁栄は、私の目には、日本への最後通牒のように映りました。 (上海編に、つづく) | ||
Copyright (c) 2001 SHINJI SATO Inc. All rights reserved.satoshin.jp |