2001年11月27日(火) 【上海特別編】

【浦東新区】

 午後1時30分に岡山空港を離陸。2時間余りで、上海着。スーパーマーケットなど業界の方の研修旅行も含め、好調な搭乗率を証明するように、満員に近い状態でした。

 奏効した中国東方航空の増便要請のために訪中された知事や議長も、イミグレーションは一般と同じでしたが、これは、ケースバイケースのよう。招聘されたとなると、全く待遇が違うそうです。


<浦東国際空港>

 上海には、中国唯一、2つの国際空港、虹橋国際空港と浦東国際空港がありますが、前者の方が、市内に入るには30分と近いのですが、岡山便(他に福島便)は、市内から約1時間かかる浦東国際空港に入ります。

 1999年に完成した浦東国際空港は、敷地面積32平方キロメートル、空港第1期工事の投資額は、120億人民元(1元は、約15円)。
 建築面積は、虹橋国際空港の約3倍。機体は、同時に36機誘導でき、貨物用コンベアーシステム13台。年間16.6万回の離発着および年間2000万人の旅客運送、75万tの貨物運送が可能です。

 第2期工事は、2005年を目途。その結果、4000m級滑走路4本、80万uの旅客用ロビー4つ、年間延べ7000万人、年間の貨物輸送量は、500万t、200駐機に達する予定です。

 3000m云々でどうという岡山とは、全くスケールが違うのだ、というのは、空港一つとってもわかります。

 しかも、ここから、時速430キロのリニアモーターカーが延びる計画です。ちなみに、提携先はドイツ。
 自動車も、フォルクスワーゲンと組んだサンタナという車種が多いのですが、ドイツとの濃い関係は、ひとつには、天安門事件の際に、ドイツ政府の対応とは、全く別の対応をドイツ企業がとったことが、大きいそうです。
 日本車もあるにはありますが、圧倒的に、VWが、目立ちます。


<浦東新区>

 今回、本当に驚いたのは、浦東国際空港や、後述の張江ハイテク工業団地がある浦東地区の開発です。
 香港を訪ねた時も、ディズニーランドを建設する香港島の開発には圧倒されましたが、それの比ではありません。

 浦東地区は、上海の市街地(浦西地区)と黄浦江をはさんだ対岸に位置し、90年以前は、開発から取り残された地域でした。しかし、1990年に、国家プロジェクトとして、この地区の開発が決定され、「浦東を龍の頭として、長江地域一体の開発を進め、上海を国際経済、金融、貿易の中心とする」という構想のもと、この地を第2の香港とすべく開発が進められています。
 開発にあたっては、第三次産業やハイテク産業の導入に重点を置いています。

 いわゆる外灘(ワイタン)あるいはバンドと言われる地区の黄浦公園(1868当時には、「中国人と犬、入るべからず」の看板が掲げられた)から、浦東新区を見ると、九龍から香港島を見る以上の高層ビル街の素晴らしい夜景で、既に香港を凌駕しています。

 特に、南京路歩行者天国の賑わいは、香港の猥雑さと違い、ちょっと都会的なセンスがある(他にも銀座通りのような道がありますが)ように思いました。


<金茂ビル>

 浦東新区の中で、東方明珠広播電子搭ではなく、我々は、この度、諸般の事情で、世界第4位から3位の高さになった金茂ビル(88階建て)に上りました。
 そこからの風景は、まさに絶景でした。例えるなら360度が、新宿の高層ビル街です。岡山県の8割ぐらいの大きさの上海市ですが、人口1300万人とはいえ、東京より遥かに巨大な都市に感じました。

 午後1時30分に岡山を出て、既に、午後5時の段階で、その後食傷気味になるような上海に圧倒されました。



 上海雑技団は、サーカス場ではなく、カジノのようなスタイルで、ホテルの中にあるものを見ました。新宿末広亭も好きですが、ちょっと芸人の技が違いました。

 衡山寶館という3つ星ホテルで、なんの間違いか、スイートルームになっていました。団の中には、ジャグジー付きの部屋の人もいました。
 そこで、私は、3日続けて、洗面所やトイレの中を水浸しにしたことを正直に打ち明けなければなりません。


 それにしても、まず改めて、岡山ー上海便を開設された方のご労苦に頭が下がります。
 同時に、なにか韓国とは、かなり違うメンタリティーを感じました。確かに、列強とあるいは、単独で、侵出してしまった日本ですが、通訳の交通大学の黄先生や、その後であった中国の方々は、特に日本を知っているだけに、違うのかもしれませんが、欧米人ぽかったように思います。


 ちなみに、4日間の移動は、岡山の下電さんが出資されている永山タクシーさんにお世話になりました。

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