2001年9月25日(火) 【謝罪 いつかきっと】

 本日の商工労働警察委員会で、「ある党の側」から、インキュベーションセンターに関する一連の「こころ」の記述につき、アカウンタビリティーを果たすのは議員の務めであるが、委員長の運営や他議員の発言を含めて、誹謗中傷や、自分の点数稼ぎのために、インターネットで流すのは、如何なものかという、意見が、「その他」の「雑言」として、出ました。

 最も公的な場での最も公的な遺憾表明と受けとめています。極めて異例のことと言えるでしょう。

 事前に、そういった発言があると伺っていたこともあり、それを受けて、「居合わせた本人(私)」により、最も公的な場での最も公的な謝罪となりました。それが、議員としての「けじめ」でした。

 インキュベーションセンターへの意見は、他党から言われて、私が常任委員会で、全面的に謝罪するという、流れになりました。

 しかし、所属委員会の議員ならびに、執行部に対して、謝罪をしましたので、言いたいことは山ほどありますが、これ以上この場で、詳細は、書くべきではないでしょう。

 ただ、マスコミが入り、モニターTVで映り、議事録が残る、公職にある者の公的なことについての記述であった、それが、せめてもの言い訳でしょうか。


 いずれにせよ、天下御免の向こう傷が入ったような気分ですが、要するに今後の私次第で、マイナス評価は、どうにでもなるでしょう。
 はっきり申し上げられるのは、短期的には、ある面、四面楚歌になっても、長期的には、かなりのプラスになる、あるいは、プラスにする、ということです。あらゆることに、決して、負けません。必ず押し返していきます。

 今回の一件で、たいへんに多くの方に、ご心配や、ご迷惑をお掛けしました。本当に申し訳ありませんでした。私は、元気です。
 でも、おそらく、これからも、いや、これからが、何度もあることでしょう。


 少なくとも、友人や子どもに向かって、今回のことは、堂々と話せます。そして、いつか、「そう、あれが始まりだった」、と笑いながら言えるようにしたいものです。
 今は、見えない、私の後の世代の議員達の誇りのためにも・・・。


 渡辺美里の『いつかきっと』を口ずさみつつ・・・。


以下、今9月定例会の私の一般質問原稿より、抜粋します。

『 所詮、人間は死にます。人類という流れの中では、バトンランナーにすぎない。なにを引き渡したか、それが、その時代の人間の評価です。岡山県が、未来永劫続くとは思いませんが、我々の価値は、何を手渡したかで、後生が、すぐに判断してくれるでしょう。

 そんな不安の中で、それでも岡山県民は、岡山県に税金を払って下さっています。納税の義務を果たすといえば、それまでですが、それは、決して岡山県職員の皆様をはじめ公務員の安定的な生活を願ってのことではありません。私を県議会議員に推して下さった方は、私が特別職公務員になる就職活動を手伝って下さったわけでもなければ、先生と呼ばれて、偉くなれ、と祈っておられたわけでもありません。

 公職にある人間に、「全体の奉仕者」である公務員に、しっかりと生命・自由・財産を守って欲しい。自らの命を懸けても、岡山県のために、岡山県民のために尽くして欲しい、それが、岡山県民の願いです。そのために、血税を納めて下さっている。代表に選んで下さっている。逆に、それに応えるのが、公職にある者の使命であり、誇りです。

 岡山県民が、自らの血税を託した我々をどう見ておられるかは想像に難くありません。私は、本当に使命感に燃えて働かれている職員の方の姿を身近で見ています。しかし、県民は、そうは見ないのです。これだけ、民間が、死にもの狂いで頑張っているのに、我々の血税を使って、公務員が、公務員は、なにをしているのか。繰り返される、血税が無駄にされる姿、しかも、民間ではとても考えられない、公務員の責任の取り方。民間は、生き死にです。「ごめんなさい」では、済まないのです。失敗すれば、まさに命がなくなるのです。

 行政サービスの価値を税金の対価という観点から厳しく監視するということであれば、当然、岡山県に、効率的な行政サービスが期待できない場合は、県民が、税金を払わないという納税拒否の発想も出てくるでしょう。
 いつ、税金不払い運動が起きても、県庁にデモ隊が来ても、不思議ではないかもしれません。そのぐらい、岡山県民は怒っておられるのです。今、私達、公職にある者は、一番大切な信頼を失っています。』


 悔しい、です。

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