2004年6月7日(月) | ||
【「輝いて!おかやま大会」について】 | ||
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さて、明日から血沸き肉踊る6月定例会開会。しかし、これに合わせたように、参議院選挙に向けた動きも活発化し、明朝は、午前7時30分からの街宣にも参加しなくてはいけません。 これからの1ヶ月かなりハイになっていきますが、時間の遣り繰りがたいへんです。 もちろん、県議会議員としての公務優先ですから、今回もまた21回連続になる一般質問の準備に頭を悩ませています。 本日は、取材活動。国体ではなく、第5回全国障害者スポーツ大会についての質問を考えています。 第60回国民体育大会「晴れの国おかやま大会」の後には、第5回全国障害者スポーツ大会「輝いて!おかやま大会」が開催されます。 「簡素かつ効率的な運営」が、国体のうたい文句ですが、障スポについて、これがそのまま当てはまるのか、ある意味で、国体以上に、岡山の質が問われる恐い大会であると思います。 そして、同時に、私は、スポーツの裾野が広がり、195万人のスクラムを組み、県民が威信をかけて燃えることで感動が生まれる国体同様に、この全国障害者スポーツ大会が、岡山県の次のステップに繋がるものでないといけないと考えます。 そうした中、私は幾つかの提言を考えています。 まずもって、5月に開催された「第4回岡山県障害者スポーツ大会」で認識され、浮かび上がってきた課題全般について、問おうと思います。そして、私自身の提言等について。 まず第1に、ボランティアの養成について。 昨日、「ユースチャレンジ21会議」の提言に基づいて岡山国体に向けて青少年がまちづくりボランティアに励む「キラリ☆ボランティア」が発足しましたが、こうした国体に向けたボランティアが、全スポにどれだけ連携されるのか等含めて、現状でボランティアの確保は十分でしょうか。 例えば、要約筆記を例に出せば、250人が必要と考えた養成講座の受講生が、百数十人で、早くも要員不足が予想されます。現在の養成者を核にして、全県17サークル、技能保持者への声掛けが必要です。 また、要約筆記に限らず、全スポの競技に関わるボランティアの方々は、障害者スポーツの競技内容を熟知しておく必要があり、各競技団体等との連携を図りながら、その養成をすることは急務です。 第2に、きちんとしたリハーサルの必要性について。 来年5月には、半年先の全スポに向けたリハーサル大会が開催されるとのことですが、費用等の関係から、各開催県では、簡素化されて行われるのが通例のようです。 しかしながら、今回の雨に降られた第4回岡山県障害者スポーツ大会で、要約筆記のパソコン入力文字が、結果として、分割ができないため巨大掲示板に映し出せなかったわけですが、本番により近い形で、リハーサルを行い、問題点を浮き彫りにしておく必要があると思います。 このことは、開会式そのものを本番並に行うべきであるということではありませんが、簡素・効率的な運営を目指しながらも、想定できるトラブルは、予め避けておこうということです。 第3に、「岡山らしさ」としてのユニバーサルデザインの具体化について。 もちろん、主会場や主会場までの導線が、バリアフリーからユニバーサルデザインの考え方に基づいて整備されるということは重要ですが、たとえば、ふれあい広場における障害のある方との交流等は重要です。 さらには、福祉用機器を岡山県の基幹産業にという「ハートフルビジネス岡山」等、この機に、アピールしては如何でしょう。 特に、パソコンに吹き込めば、言葉が文字になる、ディアボイスのように、あるいは、実証実験的に、体感が出来る機会を増やしてはいかがでしょうか。 第4に、「岡山らしさ」として、IT国体が言われていますが、CATVはもちろん、インターネットで動画配信が行われることに加えて、全スポにおけるIT活用について。 具体的には、携帯電話を使ったメール配信や情報ホームページへのアクセス等、競技参加者や来場者への情報提供として、ITを活用することは考えられないでしょうか。 特に、前述の要約筆記については、あるいは、携帯電話を通じた情報発信により、即時に情報提供できると考えます。 また、情報提供としての電光掲示板が街中に多数あることは、国体においても、便利であると思います。何時に、どこで、競技が行われているのか、例えば、桃太郎スタジアムへの道中でも、わかるということです。 特に、こうした電光掲示板は、将来的に、国立病院跡地の新総合福祉ボランティアNPO会館への導線にも使えると思います。 9月定例会では、新総合福祉ボランティアNPO会館について問おうと思います。 さてさて、我が子が、今朝「ホタルを見に行こう」と言うので、「朝はお尻が光らんで〜」と応えました。 夜なので、これから足守方向へでも行こうと思います。 行ける時に行かないと、なかなかに時間が無いです。 父が死んで、時間について考えるようになりました。まさに時間は有限で、大切なものです。いわば、相手の時間を取ると言うことは、それだけ相手を殺すことだと思っています。いかに時間を有効に使うか。人生は、何に時間とお金と心を遣うか、どんな人と出会うのか、何を志したか、で決まります。 願わくば、本当に志のある人との時間を共有したいし、自分でなければ出来ない何かを残すために使いたいし、その時間から何かに繋げたいし、さもなくば、家族のために使いたい、それが本音です。 時間も、公に差し出しているのですから。休むと死ぬのじゃ。 | ||
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