2011年11月5日(土) 【青年海外協力隊支援を】

 雨の朝、本日は、新稔橋で街宣。気のせいか、ここのところ土日と言えば、雨のような気がします。不思議とテンションが下がります。

 吉田拓郎=『たどりついたらいつも雨降り』 http://www.youtube.com/watch?v=zViIm9FrLaQ

 私は、基本的に、大洋ホエールズのファンですから、その後の変遷について、そう気にしませんが、確かに、モバゲーベイスターズという球団名は、厳しかったかも。
 ちょっと呑気な横浜ベイスターズも、これで名実ともに、新球団になるものなのかどうか・・・。

 ところで、東北楽天ゴールデンイーグルスに、埼玉西武ライオンズにいた大久保博元打撃コーチが就任し、さっそくアーリーワークが行われています。
 練習漬けの倉敷キャンプでは、野手陣は、一部を除き、なんと午前6時半に宿舎を出て、10時間以上球場にいる模様です。こういう話を聞くと、こっちも頑張らないといけないと思います。
 将来の4番候補、3年目の中川大志選手が、飛躍する秋です。


 本日は、基調講演を拝聴しようとしていたきらめきプラザでの会合が、駐車場が周囲まで一杯で、結局うかがえませんでした。確かに、公共交通機関で来るように書いてはありましたが、オープンスクールと被っていたようです。
 いずれにせよ、きらめきプラザは、中身がぎゅうぎゅうですし、法務局や裁判所も相俟って、南方界隈に、もう少し駐車場が必要になってきたと思います。


 夕刻前には、(青年海外)協力隊を育てる会主催の国際協力シンポジウムがありました。青年海外協力隊については、岡山県からは、通算526人、現在も45人が派遣されていますが、帰岡後の県庁職員への採用を含めて私が議会で、支援を申し上げたのが、平成12年6月定例会・・・・。

 崇高な思いと貴重な体験があるにもかかわらず、帰国後のその待遇のギャップが問題で、まさに国際社会を現場で知る有為な人材として、今度は、その経験を帰国後は、岡山県で活かせるステージをつくることが大切です。

 そうでなくても、厳しい現実を見据えざるを得ない不景気と草食系男子の増殖も相俟って、内向き志向が強まっていますが、いわばチャレンジ精神や貢献ということについて、きっちりと評価する社会でないと、日本の若者が、ひいては、日本が国際社会の中で、埋没してしまいます。




 それにしても、私は生まれ変わったら、学校の先生か、レースクイーンになりたい者ですが、先生だったら、青年海外協力隊で活動したいです。国際社会と実社会を自分の体験で、きっちりと知っている教師として、生徒を指導したいものです。

 なにより、私が、NGO活動として行った国は、スリランカとイランとモンゴルですが、AMDAのコーディネータ−として行ったイランは、現状では、なかなかもう一度行きたいなとは思えませんが、スリランカについては、機会があるならば、もう何度でも行きたいです。
 あぁ、この際、外国に行きてぇなぁ・・・。

 などと、そのようなことを漠然と考えるのは、私の場合は、目の前の監査業務からの現実逃避かと思えなくもないですが・・・。

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