2008年12月2日(火)
【「熱さ」という新たな岡山マインド】

 快晴の師走の空。一般質問原稿起案のため、会葬とお使い以外は事務所に籠もって、受験生のように資料と睨めっこ中です。

 お使いは、恭子夫人から頂けるということで、萩原代議士の事務所に、キムチを頂戴しに行くというもので、最近野菜が多く入ったので、これが今夜の我が家のキムチ鍋のメインになるわけで、超重要な任務でした。やはり、この季節、鍋ですね。


 さて、本日、県庁と市役所に、ファジアーノ岡山のJリーグ入りを讃える懸垂幕が掛かりました。

 私は、岡山に、初めてのプロサッカーチームが生まれたということもさることながら、ここまでの過程で、岡山にもっと大きな物が生まれたことを喜びたいと思います。
 なにか、岡山の文化が、変わった象徴のように思うのです。それは、岡山を強く愛する気持ち、岡山を強く誇る気持ちであり、「熱さ」と表現できるものです。

 もちろん、選手達やスタッフの皆さんが、一番強くこの「熱さ」を持っていたからこそ、JFLを最短の時間で突破する快挙がなしえました。サポーターの中心の方の「熱さ」が、ホーム最終戦には、1万人以上の「熱さ」になりました。

 それでも、特に、先輩方の御指導を頂きながら、中心となった30才代、40才代の世代が、「熱さ」でそれを引っ張っていったことが、私は、これからの岡山県の物凄い宝だと思うのです。
 もちろん、「うらじゃ」を通じて、醸成されてきていた岡山の「熱さ」が、かなりあったと思いますが、確かに、この街の「熱さ」が生まれたことを感じるのです。もっとも、JCやYEGには、もともと「熱い」人が多いように思いますが。


 「熱さ」という言葉は、以前からありましたが、ここ数年来、岡山の街で頻繁に聞かれるようになりました。「あの人は、熱い人じゃ!」という言葉が、飛び交う中で、変な話ですが、最高の誉め言葉として、「熱い」と言われることを男同士で競っていたふしすらあります。
 ちなみに、私は、やや躁鬱気質気味なので、「熱さ」に、かなりムラがあることを自覚をしています、はい。
 ともあれ、「○○さん知ってる?」と言われて、「その人、熱いん?」というのは、重要なポイントになっています。


 ただ、この「熱い」という言葉の意味は、短気で、すぐ怒るということではないというのは当然ですが、非常に定義しずらいものもあり、どこか向こう見ずな、危なかしいところがある一方で、何かのために、誰かのために、己を擲って、ひたむきに、突き進んでいく純粋さも含んでいるように思います。
 そして、かって幕末の志士達は、何かにつけて、そうだったというのですが、ともかく、「熱く」生きて、感動して泣きたい!と思っているのです。

 少なくとも、かって、その勘定高さ、頭脳明晰さなどの特徴から、大宅壮一氏は、「岡山県民は日本のユダヤ人」という、ユダヤ人にも、岡山県民にも、失礼な表現をしましたが、その対極にあるのが、「熱い」岡山県民です。

 バブルの絶頂、バブルの崩壊の拝金主義の中で、日本中が、あたふたする様を見ながら、物や金で計ることができない別の価値尺度を持つ世代は、時には、理屈を越えた「熱さ」で動くことがあります。
 いや、むしろ、「頼む、泣かせてくれ」と、「熱い」ものを求めています。


 確かに、ひとつのスポーツ文化が育ったわけですが、岡山県に最も足りなかったもの、他県から失笑を買った『燃えろ岡山県民運動』まで行わなくてはいけなかった岡山県民では、もはや我々はない、という認識が必要だと思います。

 そして、考えようによっては、この「熱さ」は、様々な方向、様々な分野、に向かい得る可能性があることの理解も、必要です。強い怒りにも転化しうるものです。

 逆に言えば、保身に走る、言い訳をする、あれこれ理屈をこね回す、都合の良い方にすぐ乗り換える、自分だけ特をしようとする、仲間内で馴れ合いをする・・・・こうした「熱く」ないものを評価しない、もっと言えば、何かをするなら、たとえ一人きりであれ、体を張った本気さ、「熱さ」を伝えなくてはいけないということです。

 「熱い」ものが感じられなければ、幾ら綺麗事を並べられても、物事は進みません。むしろ、伝わらんなぁと、逆効果ということすらあります。


 もっと言えば、いかなる世界においても、リーダーたらんとする者は、「熱さ」を発信できないといけない時代であるということです。おそらく幕末の吉田松陰や高杉晋作の「狂」に近い物が求められている、裏を返せば、それだけ時代が荒れているということでもあると思います。

 さらに言えば、時代が乱れるほど、人は、ただただ真っ直ぐな純粋な「熱さ」に惹かれるのだと思います。今、時代が求めているのは、「熱さ」です。


 この「熱さ」を換言すれば、気概、気魄、気合い、意気ということになると思います。正確な訳ではないと思いますが、日本で使われる英語のマインドという言葉にも、それに近いものを感じます。

 今、岡山県は、確かに危機的な状況にあります。しかし、だからこそ、今、政治に関わる者のマインドが試される。大綱だ、プランだ、ビジョンだという言葉の羅列の中で、一番重要なのは、どれだけ岡山県を「熱く」思っているか、そして、それを伝えられるか、そのマインドです。

 もちろん、これは、国においてもそうです。麻生総理から、私は、「熱さ」を感じません。殿様が、下々の暮らしぶりを観に、城下をまわられる「上から目線」で、政治をやって貰っては困ります。

 実は、根っこにおいて、純粋なものを求めているという意味では、やはり、日本人は、素晴らしい民族だと思います。よほど、「熱さ」に応えない、あるいは、「熱さ」が分からない、もっと言えば、そもそも「熱く」ない政治関係者の方が、どうかしていると思います。


 と、いう時代認識のもと、一般質問原稿を書いています。
 それが、「熱い」施策かどうか、そこに、新しい岡山マインドがあるかどうか・・・・つまりは、「金じゃねんじゃ!気合いじゃ〜!!」ということか・・。
 で、穏やかな御性格なので、知事は知事なりに、「熱い」のですよ、きっと。このあたり、私のような振幅のある性格ではないのです。

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