2007年11月17日(土) 【いまから ここから】

 などと書きながら、文化芸術の秋。
 どこでも就職できたバブル絶頂期に東京にいたらどうなっていたかなぁ?と、くだらないことを想像しつつ、紅葉で美しい上野の森や不忍池を徘徊し、下町風俗博物館を外国人と並んで観る酔狂をしたり、かねてからずっと行きたかった東京国際フォーラムの「相田みつを美術館」も、訪ねました。やはり、首都は、どこまでも奥が深いと思います。
 非常に大切な時間をありがとうございました。

 ひょっとして、自分も「相田みつを」と似たような物が書けるのでは?と、ストリートのアーチストや、私は思っているかもしれませんが、絶対に書けないことも理解できました。やはり、すごいです。
 東京駅からすぐですから、皆様も、是非お立ち寄り下さいませ。


 もっとも、帰岡を遅らせてでも観たかったのが、実は、大都会にあって岡山にない、ミュージカルでした。まずは、劇団四季の『ライオンキング』。既に10年目に突入のロングランで、千秋楽というのが、あるのかどうかすら分かりません。

 役者の個性は際立ちませんが、日本のショービジネスの頂点とも言え、3150円のC席でも、あぁ、なるほど、どえれぇもんじゃなぁ!と感動しました。こういう本物は、観ておかなくてはいけません。
 多分、今まで、劇団四季を生で観てすらいませんでした。

 来年には、広島で、『美女と野獣』の「ショート」ラン。家族で行かない訳にはいかないでしょう。そういうものです。
 先日の『レ・ミゼラブル』から、こういうことになったので、私の性格からして、しばらくは、仕方ないでしょう。もっとも、そう機会もないので、自ずと限界があるのですが。


 ただ、今日感じたのは、本当はそういうことではなくて、世襲制の絶対君主制についてはどうかと思いますが、父子のドラマとしての『ライオンキング』です。
 私は、別に、個人として死ぬこと自体は怖くないですが、下記の台詞のやりとりは、映画同様、やはり、うるっときました。

 「お父さんは、怖いものはないの?」「いいや。ある。」「それは、なに?」「それは、お前を失うことだ。」
 ・・・『ロッキー4』も、そういう意味では、泣けますが、相田みつをの詩にも、下記のようなものがあります。私も、そう思います。思えば、「こころ」は、最初は、胎児の「こしんじ」宛でした。

 父親は、子どもに、何を伝えられるのかしらん?・・・生き様?死に様?
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子供へ一首
どのような
道を
どのように
歩くとも
いのちいっぱい
に生きれば
いいぞ

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