2003年12月23日(火・祝・天皇誕生日)
【三木知事の夢・桃太郎少年合唱団】

 本日は、天皇誕生日。陛下におかれましては、古希を迎えられ誠におめでとうございます。益々ご健勝であられんことを心よりお祈り申し上げます。

 国民の統合の象徴として、日本人のあるべき姿や、あるべき家庭を具現化されるという、まさに世界に誇るべき皇室であると思いますし、日本の歴史・伝統の連続性は、天皇家があるということで、より強固に守られるものです。

 多くの日本人がそうでしょうが、年をとればとるほど、天皇がおられるということ、それ自体が尊く感じられます。
 これは、きっと歴史の浅い後発国のアメリカにはない感覚です。

 例えば、17年秋季おかやま国体の開会式は、天皇がお出ましになられるからこそ、威厳があり、緊張もするわけで、現職の内閣総理大臣が来られても、重みがまるで違うでしょう、きっと。



 さて、本日は、「ワンナイ」のゴリエ風に言えば、「喜び〜」という日でした。

 例年通り、「ボランティアサークルよっしゃ」のクリスマス会に、僅かだけお邪魔させて頂いたのですが、本当に喜んで頂ける。それがなんとも嬉しいことです。

 浦安荘におられた頃から、Yさんは、福祉系の学生の憧れであったように思いますが、これだけの方は、なかなかおられません。
 本当に素晴らしい方です。「よっしゃ」の皆さんには、京橋朝市で、会えると思います。




 その後、今年から理事をさせて頂いている財団法人桃太郎少年合唱団の祝賀会。

 特に、今年は、農業県から工業県岡山に飛躍させた、創設者である故三木行治元岡山県知事の生誕100年の記念の年であり、しかも、地域における画期的独創的な活動を通じ、地域社会の文化向上に貢献したことが認められ、「サントリー地域文化賞」も受賞されたということで、合唱団OBの方々が中心になって企画されたものです。

 指導員の先生方や、OB、保護者の方々のご労苦には本当に頭が下がる思いです。


 桃太郎少年合唱団は、先の岡山国体の開かれた昭和37年に、来日したウィーン少年合唱団に感動した当時の三木行治知事が、「青少年の健全育成と地域音楽文化向上に資する」ために創設されたもので、40年の歴史を誇ります。

 私の小学生時代は、声がきれいなのはもちろん、学業優秀な者しか入られない桃太郎少年合唱団に入られるというのは、もうそれだけでたいへんなことで、H君は、一目も二目も置かれていました。


 現在は、少年合唱団は、全国に約10団体しか残っていませんが、桃太郎少年合唱団は、ウィーン少年合唱団やドイツのレーゲンスブルグ大聖堂少年合唱団とも共演、県内外の公的行事や各種イベントに参加しているのは、お馴染みだと思います。

 私は、団OBの方に、中学、大学の先輩が多くいらっしゃり、なにより、棚田理事長・団長が中学3年時の学級の副担任であられたことから関わりを持たせて頂き、時々、練習場のある生涯学習センターや演奏会にお邪魔させて頂いたりするのですが、故三木元知事縁の桃太郎合唱団は、岡山県の宝である、と思います。
 本当に天使の歌声です。


 そして今日、なんとまぁ、40年前、故三木元知事が着られたというサンタクロースの服装で、合唱団の子ども達に、クリスマスプレゼントを配るという栄誉を頂きました。
 かぶりものが好きですので、こういうのは、そうでなくても嬉しいのですが・・。

 三木行治元岡山県知事と言えば、「私なき献身」を貫き、昭和39年8月31日には、アジアのノーベル賞といわれるフィリピンのマグサイサイ賞を日本人として初めて受賞された岡山の偉人です。(受賞金に県民の浄財を加え、昭和40年に、岡山県三木記念賞及び同助成金交付制度が創設されました。)

 そういう方の縁の服を着せて頂けるのは、桃太郎少年合唱団ならではですし、県議会議員としても、非常に名誉なことでした。

 三木元知事は、私が生まれて1ヶ月半後、昭和39年9月に亡くなっておられるので、もちろん、お会いしたことはありませんが、ありがたいご縁だなぁ、としみじみ感謝です。

 ずんぐりむっくりの体型をされておられたので、私にも、サンタの服はぴっちり入りました。私は、体型と、着た切り雀と、岡山の土産は「大手饅頭」と、清貧は、見習えても、きっと偉大な業績の足元にも及ばないことでしょう。

 「良い人は死なない」・・・人間は死なないんだなぁ・・・・。
 先人達の汗、こうした歴史や伝統の上に、人の世は繋がって行くのですね。だから、我々も繋げていかないといけません。


 ともあれ、桃太郎少年合唱団については、資金、練習場の確保に加えて、団員の確保という大きな課題があります。
 様々な音楽関係の団体同様、また、一緒に、やはり、行政の支援も必要です。

 そして、何より、前の岡山国体縁の合唱団の晴れ舞台が、17年おかやま国体でないとしたら、故三木元知事に申し訳が立ちません。どこかで、大きくスポットライトが当たらないといけません。


 そう言えば、3歳の我が子ですが、こいつは、歌うでしょうか。桃太郎合唱団に入れれば良いなぁ、とも思うのですが、問題はセンスです。時折、妙な歌を口ずさんでいますが・・・・。

 白状しなくてはいけないのは、父ちゃんは、実は、半年だけですが、あの天下の早稲田大学グリークラブに属していたことがあります。有名なグリーやん!
 いわゆる男声合唱団にいたのです。バリトンです。

 しかし、あの忘れようにも思い出せないという、北軽井沢の夏合宿以降、部から逃亡。

 やはり、楽譜が読めない者が、音楽をやってはいけません。
 そういや中学時代、音楽は、2だったなぁ、無理があったなぁ・・。

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