2003年8月13日(水)【第1回おかやま県民文化祭】 | ||
今日からお盆休みのところも多いのでしょうか。11連休という友人もいますが、佐藤家の場合は、今日の午後に小豆島に行って御終いでございます。
さて、9月28日(日)午前10時より、「第1回おかやま県民文化祭総合フェスティバル」が、倉敷チボリ公園で開催されます。 県民が文化に親しみ、交流するとともに、文化活動を発表する場として、「国民文化祭」誘致・開催に向け気運の盛り上がりを図るため、「県民総参加型」の「文化の祭典」を開催するということです。 国民文化祭誘致というのは、岡山県の悲願でありますが、国民文化祭は、昭和61年度に、東京都で第1回大会が開催されて以来、毎年各県で開催され、今年度は山形県で「第18回国民文化祭・やまがた2003」が開催されます。 文化庁、開催地都道府県、開催地関係市町村及び文化団体等の共催によるもので、1.総合フェスティバル、2..シンポジウム、3、分野別フェスティバルの3つに大別されます。 個人的には、「国民」文化祭とはいうものの、対外的に県外から客を迎えるというよりも、内向きなものという認識を持っています。さすれば、県民文化祭で良いと思うのですが。 そもそも、文化とはなんぞやですが、本当の文化は、地域特性が反映され、かつ、いずれは伝統として継承されるとすれば、日本文化にせよ、岡山文化にせよ、本来の文化は、フェスティバルに馴染むものと思えず、「文化祭」という一連の発表会は、裾野を広げこそすれ、かえって、本物の文化を埋没させる危険すら孕んでいると思います。 あるいは、既存の活動に冠をかぶせるだけになるのではないか。 それが、個人的な感情の発露であれば、共感する者がなければ、文化は文化たりえないし、しかも、文化とは、意図的なものではないとすら思います。あるいは、発表にどれだけの重さがあるのか。 いよいよわけがわかりませんが、要は、換言すれば、文化は、作ることはできないが、できるものだ、と思います。 いわゆる、文化に裏打ちされた街の格とか、街の品は、お金をかけて、イベントをすれば、醸成されるものとは、とても思えないのです。むしろ、例えば、文化作品が生まれてくる過程こそが、文化ではないか、プロセスは、結果以上に重要であると思うのです。 そういった意味では、私は、路面電車「MOMO」に、岡山の文化を感じます。そのプロセスが、岡山の文化そのものであるし、美しい「MOMO」が、どれだけ、岡山という街の品格を上げたか。 敢えて言えば、「MOMO」が走ることが、岡山の文化なのだと思います。 あるいは、「うらじゃ」も、いずれ岡山の文化そのものになると思います。 岡山市内には、城下に文化ゾーンがありますが、例えば、後楽園周辺や城下周辺の市民の息遣いが、文化になる、もっと言えば、文化は、街づくりの話でもあると思うのです。 行政の文化施策というのは、ややもすれば、イベントになりがちです。あるいは、一流のなにがしかが、なにがしかをすれば、文化が発生するような気分になる。 そうではないと思います。 むしろ、行政が主導で、文化をおこがましく作ろうとするのではなく、いかに、自然にできるようにするか。そういった施策こそが重要であると思います。 ・・・チボリは、岡山の文化になり得るでしょうか・・・。 | ||
Copyright (c) 2003 SHINJI SATO Inc. All rights reserved.satoshin.jp |