2007年10月29日(月)
【守屋前事務次官の証人喚問】

 守屋前事務次官の証人喚問を聞くにつけ、背筋が凍る思いがします。リクルート事件等に比しても、最も悪質な贈収賄事件に発展しそうな雲行きです。

 国民の生命・自由・財産を守る、それを守るために国益を守る、それが政治の最大の役割ですが、直接それに影響する国防に関して、全く政治家のシビリアンコントロールが及んでいなかったことは、いわゆる軍部が台頭しても、政治家にそれを止める能力がない証左に他なりません。
 少なくとも、官僚に振り回されているだけの頼りない国会議員に見えてしまいます。よっぽど官僚の方が政治家です。

 いわんや、沖縄の基地問題に関して、金銭の授受に基づいた特定の人間関係により、施策が歪められたとするならば、関わった政治家は、既に政治家である資格がないと私は思います。

 少なからず、テロ特措法の問題にも影響を与えるこの問題について、恒例の明朝の自民党青年局の街頭演説で、どう言えば良いのか・・・・。
 また、二元代表制の下、それでは、地方議員がどれだけ「地方政府」の中で、行政と拮抗できているのか、それも問題です。



 それにしても、こうした不祥事を契機に、短絡的に反動的な国家主義的な立場から教育問題に言及する方もおられます。食品の偽装の問題も、政治家や閣僚の不祥事も、数多起きる凶悪事件も、全て教育が悪いのだと言うのは容易いです。

 そこから、道徳を公教育を重視すべきだと言うのもその通りですが、ただその内容が、なんなのか、実は、明白でなく、復古主義的な論調もまかり通る時もありますが、その本質は、徳育と言うよりも、要は、ある種の権威にひれ伏すことを求めて、「わしの言うことを聞かんかい」に近いように思えるときもあります。

 危機感は同じでも、解決のアプローチとして、それは、日本人の持つ美徳としての思いやりや優しさとは別物で、あるいは、心のどこかにカリスマを求めているという意味では、ひどく衆愚政治かもしれません。

 こうした時に、300年生き続けた近江商人の「三方よし」の考え方や武士道精神の根本にある日本風の儒教的な考え方や、倫理を基軸に考えなければ、いけないのではないか。むしろ、100年前でなく、300年前の日本を目指すべきではないのかな、と思います。
 こうした不祥事の際に、魂に刷り込まれたように、我々が共通に思い起こす言葉がないことが問題なのではないか。私自身も学んでいませんが、あるいは、学ぶべきは、「論語」のようなことかもしれません。


 守屋氏が、「自分の信念に基づいて」宣誓しましたが、欧米なら、やはり、神に誓うのでしょう。少なくとも、科挙でもありませんが、リーダーたるべき者に、共通の理念や根本がないことが、問題なのだと思います。
 個人の信念に基づかれてもなぁ・・・・。

Copyright (c) 2007 SHINJI SATO Inc. All rights reserved.satoshin.jp