2006年11月16日(木) 【再教育の対象は】

 朝一で県民局から幼稚園役員会。そこから、またまた超難問。『羅生門』状態に。

 教育基本法の改革という問題を政治的な争点にすること自体が、あるいは、強行に通過させること自体を政権の成果とし、逆に、通過を阻止することが政権抗争の一里塚ととらえるということ自体が、不愉快なものがあります。

 実際に日々、私が頭を悩ませる問題の多くは、教育委員会の協議事項の俎上にすら上げらないもので、こうしたメールに書けないようなことばかりです。基本法を変えること自体が、それでもまだ、小手先の対処療法であり、たとえ憲法を変えても変わらないぐらい、我々の社会は、根本的に病んでいることを感じます。

 そのひずみが子ども達に来るとすれば、再教育の対象は、子どもよりもむしろ、親の、あるいは、そのまた親の世代かもしれません。良くも悪くも、カエルの子はカエル。その子も、カエル。


 実践で背中で示せない己の不徳を隠すがため、権威を傘に着せているようでもあり、世代間の責任転嫁のような気すらしてきますが、子どもが変わったなと感じるのは、教育を受けた子どもが親になったとき、つまりは、親が変わったとき。いま議論している人間は誰も生きていない50年先。新しい親に期待するということではないかな。・・・・結局、親だろうなぁ・・・。

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