2004年11月5日(金) 【瀬戸内少年】

 1泊2日の県内調査から戻りました。

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 昨日の長島愛生園、邑久光明園も、元患者さんからなる自治会も、たいへんにウエルカムで、特に、文教委員会で訪ねたことの意味を高く評価して下さいました。
 長島を囲む穏かな瀬戸内の海と夕日が奇麗でした。

 平成13年の小泉総理の控訴棄却、謝罪反省決議をもって、様々な人権侵害を伴ったハンセン病患者に対する隔離政策という国策、さらには県策の誤りが認められ、熊本の事件はあったものの、10年前では考えられないような状況であるとは言われます。

 ただしかし、元患者さんの平均年齢は、77歳を超えており、ここから10年、さらに、20年で、風化しかねないのではないか、という危惧があります。

 だからこそ、ハンセン病の療養所が2つある岡山県においては特に、歴史館をはじめ、人権教育の問題として、歴史を見据えるべきではないか、と思います。
 人権教育における歴史館の位置づけ、教育の場における啓蒙について、文教委員会でも、今後働き掛けを行って参ります。

 入館、見学には、事前予約が必要ですが、人間回復の橋を渡るのは、虫明からです。



 本日は、朝から笠岡の真鍋島に渡り、真鍋小・中学校を訪ねました。島嶼地域の教育現場視察は、県議会初ということで、これまた、たいへんにウェルカムでした。

 地元の天野議員も、お隣北木島の御出身ということで、ご同行頂きました。ダンディな先生なのですが、島の暮らしについて、熱く語って頂きました。


 今日は、国立公園瀬戸内海も、秋晴れの下、たいへんなべた凪で、映画の一シーンのように真鍋島につきました。映画「瀬戸内少年野球団」のロケも行われた人口360人余の地の小学生は、7人、中学生は、8人です。
 今年度、小学生は、入学も卒業もありませんでしたし、平成18年度には、それぞれ4人ずつになります。

 県の倉敷教育事務所も、笠岡市教育委員会も、この状況で、施設整備が行えず、笠岡方式といわれる簡易鉄筋の校舎も使われていますし、築50年と、老朽化も甚だしい状況です。

 また、競争心が芽生えたり、塾に通える状況でもありませんから、他地域に比べて著しく学力が高くなることはありませんが、何よりも、不登校やいじめといったものが全くない、島で子供を守り育てる雰囲気が伝わってきます。


 給食委員の掛け声で、7人の小学生や先生方と、給食(カツ丼と赤出しと牛乳)を食べながら、話をしました。これも今まで、県議会では例がないでしょう。

 定番のような「大きくなったら何になる」という質問に、男の子達は、「漁師!!」でした。夕刻から真夜中まで漁に出掛ける親の姿を彼らは、しっかりと見ています。
 ただ、中学を出て進学した後、どういう判断をするのかは、わかりませんが。


 学区が緩和され、笠岡市内ならどこからでも、真鍋島には通うことができます。が、施設が老朽化していることもあり、他の島に比べても、希望がないと言います。

 中学校は、たちまち、来年教員加配が難しい人数になり、5年後は、教育委員会もある種の決断をしている可能性もあります。非常に止め難い流れであり、さもないようにするならば、大きく施策転換をする必要があります。


 それでも、人間にとって、子ども達にとって、何が幸せかわかりません。塾通いでしょうか、コンビニにたむろする街の小・中学生を見ながら、本当に大切なことはなんなのかを肌で知っているのは、むしろ島の子ども達であるように思いました。



 どの時代に、どの場所に、どんな状況で生まれてくるか、そんな一番肝心なことを人間は選択できません。それはもう、宿命というものです。抗っても、おもねいても、恨んでも、嘆いても、威張っても仕方ありません。本人の力ではないのですから。

 しかし、運命は、変えることができます。宿命よりも、もっと大きな天命を感じて、努力することができれば。

 政治は、そのための公正な機会を作る仕事であると思います。時には、神様の落書きを修正しながら。

 ただ、幸せって何だろう、と考えると、そんな面倒なことじゃないんじゃない?と、瀬戸内の海は言っているようにも思います。
 なぜか大風邪をひきました。

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